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インタビュー

ゲルダは“神話”の主人公

― 宮崎監督はゲルダが大好きなんですね。

宮崎: もう、想いだけが貫かれていて、「安珍清姫」の清姫が大蛇になって追うように、火をはきながら追うようにね、あとのことは一切かまわず靴も脱ぎ捨てて裸足でとにかく荒野に出て行って、北の果てまで自分のカイという少年を連れ戻すために、心を凍らせてしまった少年を助け出すために行くわけですよ。そのけなげさに、出会った女たちがみんな彼女を助けていくっていう、それが琴線に触れたんです。


― ゲルダは物語の前半で、川に靴を差し出します。これから歩いていくというのに。

宮崎: そういうのって理屈がないんだよね。これから歩いていくのに、なぜ裸足で行こうとするのか。裸足になるっていうのは必要なんです。主人公はものに守られていたらダメだって。素裸にならなきゃダメだって。どんどん失くしていく。失くしていって、初めてたどり着ける場所や、手に入れられるものがあるんです。


― そういえば、ゲルダは途中で靴をプレゼントされたのに、最終的にはやっぱり裸足になっていました。

宮崎: 作っている人間たちはよく心得て作っているよね。そういうところはいさぎよくて好きですけど。神話的な部分と物語を映画にするためにアレンジしていく過程で、アレンジする側の人間に湧き上がったものっていうのが、幸せに一致した映画なんです。


― 神話的な部分というのは?

宮崎: 川が靴を受け取ったあと、もやい綱がほどけて、船が川から流れていくようなところは、やっぱりアニミズムの神話的発想でアニメーションが作られている。アニメーションの元はアニミズムからきているんだろうけれども、川が靴を飲み込んで、かわりに女の子を船で運んでいくっていう物語の運び、神話的な運び方をアンデルセンの童話の中に取り入れたのは、すごいなって思います。


― 山賊の娘についてはどうですか?

宮崎: 自分の養母だか本当のお袋だかしらないけれど、おんぶされていて耳かなんかかじったりする乱暴な娘が、トナカイやらキツネやらウサギやら、そういうものを自分の配下において、捕らえて、そこで君臨していたのが、ゲルダの身の上を聞いているうちに、自分には想う相手がいないということに気付くわけです。いろんなものを支配しているつもりなのに、じつは一番望んでいたのは、檻や縄で捕まえておくことではなくて、想える相手がほしいということだったんだという。だからそれで「みんな出て行け!」と言うわけですよ。そういう愛し方しか出来なかった子なんです。だけど本当はそういう愛し方じゃないんだっていうことに気がついた子なんですよ。ゲルダは何も語らないけど、語らないことによって、山賊の娘で描かれているんです。


― ゲルダが山賊の娘の心を解放したということですか?

宮崎: 凍りついた心は解けるんだって。その力をもっているのはゲルダなんですよ。なぜゲルダがもっているかっていうのは問わないんです。持っているんですよ。それはみんなの中に確実にある部分、世界の大事な一部だろうと思うけど、自分の中にあるのか、他人がもっているのか、あるいは自分の中にあるけど出口がないだけなのか。


― ところで、映画はどこでご覧になったんですか?

宮崎: 東映動画に入社した頃、練馬の公民館で観ました。組合か何かの組織が上映会をやったんだと思いますね。吹替で観たんですが、そのあと東映動画でオリジナルを上映したときに、大きなテープレコーダーで録音した先輩がいたんです。そのテープにはロシア語原版の音声が入っていて、それを借りて、職場でずっとかけていたんです。テープがのびきるまで聴いてた(笑)。何度も巻き戻して。だからちゃんと観たのは一回だけ。ロシア語原版の音声を聴いているうちに、吹替は全部吹っ飛んでしまった。それで映画を思い出しながら音声を聴いていると、ロシア語っていうのは実に素晴らしいと思いますよ。


― ゲルダは自分勝手だという感想もありますが、どう思われますか?

宮崎: そういう反応があるのを聞いて、パクさん(高畑勲)が驚いたっていうのを聞いたことがあったけど、僕は全然驚かない。その観客がつまらない人間なんだっていうだけの話で。僕はそう思ってる。自分の想いを貫くためにまわり中ひどい目にあわせるっていう主人公を今まさに僕は作っているわけだから。ポニョっていう。本人はひどい目にあわせている気は全然ない。そういうものですよ。人に迷惑をかけていくの。生きていくっていうことは。


(2007.8.24.宮崎駿監督アトリエにて)


宮崎 駿 プロフィール

アニメーション映画監督。1941年、東京生まれ。
1963年、学習院大学政治経済学部卒業後、東映動画(現・東映アニメーション)入社。『太陽の王子ホルスの大冒険』('68)の場面設計・原画等を手掛け、その後Aプロダクションに移籍、『パンダコパンダ』('72)の原案・脚本・画面設定・原画を担当。その後、ズイヨー映像、日本アニメーション、テレコムを経て、'85年にスタジオジブリの設立に参加。『風の谷のナウシカ』('84)に続き、『天空の城ラピュタ』('86)『となりのトトロ』('88)『魔女の宅急便』('89)『紅の豚』('92)『もののけ姫』('97)『千と千尋の神隠し』('01)『ハウルの動く城』('04)といった劇場用アニメーションを精力的に発表している。

『千と千尋の神隠し』では第52回ベルリン国際映画祭 金熊賞、第75回アカデミー賞 長編アニメーション映画部門賞を受賞、『ハウルの動く城』では、第61回ベネチア国際映画祭でオゼッラ賞を、続く第62回同映画祭では栄誉金獅子賞を受賞している。
現在、2008年夏公開予定の『崖の上のポニョ』の制作に取り組んでいる。