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昨年十二月、三鷹の森美術館ライブラリーとして公開されたレフ・アタマーノフ監督のアニメーション映画「雪の女王」で、わがままな山賊の娘が動物たちを閉じ込めている場面を見て、不意に「『アニマル・ファーム(動物農場)』みたいだ」と思いました。
初めてジョージ・オーウェルの『アニマル・ファーム』に触れたのは、アメリカでの高校時代でした。ギリシア悲劇、シェイクスピア、ヘルマン・ヘッセ、アーサー・ミラー……、国語の担任であるミセス・マグワイヤ先生が薦める良書・名作を次から次へ千本ノックのように読まされ、作品について議論するという授業でのこと。先生が人数分のペーパーバックが入ったダンボールを抱えてやってきて、みんなに支給するのです。薄い本なら2週間、厚い本なら1カ月くらいかけてみんなで読み込むのですが、本に直接メモやら意見をどんどん書き込んでいくので、終わるころには、どの子の本も余白が青いペンの文字でびっしりでした。『アニマル・ファーム』はそのなかの一冊でしたが、なかでもこの本は、アメリカでは高校生ならば一度は読むことになる基本的な課題図書だったように覚えています。
深読み大会にはうってつけ
つい先日まで、アニメーション映画になっていたことも、邦題が「動物農場」だったことも知らなかった私ですが、高校の授業で読んで以来、ずっと胸にひっかかっていた作品です。それは、物語の結末が持つ後味の悪さのためだけではありません。私に「解釈の醍醐味」を教えてくれたからです。
当時、私が受けていた授業では、「この部分は何を象徴しているのか」「ここ場面の時代背景は何か」といった具合に、一冊の本をいかに深く読み込むかが問われていました。それは「感想」というよりは、つたないながらも「解釈」だったように思います。読んだ後、さらに理解を深めるために、机の配置をコの字型にしてディスカッションする“深読み大会”が開かれ、各人の意見を徹底的に述べさせるのです。「スノーボールは歴史上の誰を表していて、それはどこからわかりますか」とか「このナポレオンの行動についてどのように考えますか」といったことを、ああでもないこうでもないと延々と話し合うのです。まだインターネットもない時代ですから、お手軽に作品の情報を集めたり、参考文献を調べたりなどできるはずもなく、図書館に通ったり、動物たちの気持ちを必死に想像して語り合ったのを覚えています。今になってみると、こういうスタイルで古今東西の名作を次から次に読んでいった経験は血となり肉となっていると感じます。
そして、レーニン、スターリン、トロツキーなど、実在の人間を動物に見立て、動物農場=共産主義国家ソ連として描き、何から何までその背後から社会風刺的な意味を引っ張ってくることのできる『アニマル・ファーム』は、この“深読み大会”にうってつけでした。権力者である豚に教えられた通りの文句をわめき立ててほかの意見を封殺する羊の様子なんて、まさしく「大衆操作!」という感じですよね。
ディスカッションが終わると、今度は自分の考えをまとめるテストが行われました。テスト用紙にはごく短く大きなテーマの質問が書いてあるのですが、自分で解釈をする力を身につけることが目的ですからある解釈が正解としてあるわけではありません。書き込みでいっぱいになった本を持ち込んで、それをもとにそれぞれが深めた理解を小論文のような形で答案用紙にぶつけました。
『アニマル・ファーム』については、たしか、本の内容とソ連の体制を照らし合わせる“王道”的な回答を書いた記憶があります。ただ、一つの正解があるような問題の出し方ではないので、たとえ人から見れば破天荒でトンチンカンな結論でも、その論の中で筋がきちんと通っていればちゃんと評価されました。
また、念のために申し上げておきますが、マグワイヤ先生は、この本が出版当時そのように利用されたように、反共産主義という政治的な信条に基づいてこの本を推薦していたわけではありません。むしろ逆に、この本が国家的な反共産主義運動であるマッカーシズム(赤狩り)に利用されたことも引き合いに出し、プロパガンダや全体主義を理解するための手助けとしてアメリカ人が読むべき文学として紹介していました。
そういえば、魔女狩り的なテーマを扱ったホーソーンの『緋文字』なども同じく、集団で一つの価値観を盲信してしまう全体主義の恐ろしさを学ぶことのできる本として、先生は例に挙げていました。
いつのまにか法律が改「悪」されて……
大人になって読み返してあらためて思ったのは、この物語は、単にソビエト連邦(ロシア)の話でなく、過去の話でもなく、今の日本にもあてはまることがたくさんあるのではないかということ。
物語の後半、「すべての動物は平等である」という最も大切な戒律が、動物たちの気がつかないうちに、権力を握った狡猾な豚によって「ある動物はもっと平等である」と書き変えられます。次々に法律が改「悪」されても、それに気が付かずに従い続ける動物は一見愚かですが、これは実は私たちの国でもよくあることではないでしょうか。派手なニュースに目を奪われているうちに、その陰に隠れて重要な法案が可決されていたり、年金がやけに複雑な仕組みになってさっぱり状況が見えなくなり、その背後で使い込まれていたり……。気がつけば「なんだか、やな感じだね」ということばかり。だから、動物たちを「過ちを繰り返すなんて、過去の教訓を忘れすぎ!」なんて簡単に馬鹿にできない。
「アニマル・ファーム」は、希望のない話です。権力の座にある豚が最後まで打倒されない原作はもちろんですが、ほかの動物たちによって打倒される映画版にしても、革命が起きてリーダーが変わったところではたして事態は変わるのか、という思いが残ってしまいます。
でも、安易にハッピーエンドにしなかったところが、「アニマル・ファームの」大きな魅力なのかもしれません。自分たちの生きている社会の問題は、どこかの誰かに任せておけば解決できるわけではない。いつまでも為政者のせいにするのではなく、自分の生活は自分でよくする、つまり自立することを考えないといけないというメッセージとして受け止めることもできます。これは、一見反対にも見える原作と映画のラストに共通しているのではないでしょうか。
秀島 史香
ラジオパーソナリティー。
高校卒業時までアメリカに在住。
J-WAVE「GLOOVE LINE」のDJをはじめ、TV・映画・CMナレーション、通訳や字幕翻訳など、活動は多方面にわたる。