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「反共作家」の効用
『動物農場』につづき、一九四九年に『一九八四年』を刊行したオーウェルは、翌五〇年一月に四十六歳の若さで病没する。冷戦構造が固まってゆく世界情勢のなかで、西側陣営の先鋒に立つ者、特に米政府筋は、反ソ=反共主義を体現するアイコンとしてオーウェルを活用してゆく。その際に、彼自身の社会主義者としての信条は隠して、ソ連の体制のみならず、冷戦体制の西側(資本主義)陣営の正統的教義にとって望ましからぬ共産主義および社会主義思想全般に敵対する存在としてオーウェルを祭りあげる傾向が、特に米国を中心にして強まる。そのように使われては困るという趣旨の発言を彼は生前にしているが、それは聞き届けられなかった。
米国政府はオーウェルの本を三十ヶ国語以上の言語に翻訳・配布するための資金援助をおこなった。一九五一年の「国務省の反共闘争における書物の関与」と題する回状(内部資料)では、『動物農場』と『一九八四年』は「共産主義への心理戦という面で国務省にとって大きな価値を有してきた」と指摘し、「その心理的な価値ゆえに、国務省は公然と、あるいは内密に、翻訳の資金援助をすることが正当であると感じてきた」と記されている。日本での『動物農場』と『一九八四年』の最初の翻訳刊行もまさしくこのような流れのなかで米国の主導によって推進された。GHQ(連合軍総司令部。実質上は米軍が仕切っていた)の統制下で敗戦後の日本は外国文献の新規翻訳が凍結されていたのだったが、一九四九年にGHQの認可を受けた「第一回翻訳許可書」として『アニマルファーム』(永島啓輔訳、大阪教育図書)が刊行された。『一九八四年』も原作刊行の翌年の一九五〇年に邦訳が出ている。