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「動物農場」を語る宮崎 駿監督

パラダイスは地球とその周辺にはない

―この映画を観たあとには、社会主義的な意識に目覚めます。いまこそ民主的な社会主義が見直されるべきではないか、と。

 独裁者がいなくて、みんなでそこそこ幸せにやっていくことができるようにするには、どうしたらいいのか。それにたいする人類の最大の賭けが、社会主義だったんですよ。十九世紀にヨーロッパのなかで育てられて二十世紀にかけて実験した結果、見事に敗北したんです。楽園は地上にはないんです。
 ぼくは、楽園というのは、幼年時代にしかないと思います。幼年時代の記憶に、楽園はあるんだと。楽園をつくろうという運動はいつもあるけど、かならず挫折するのはそれなんです。だから、「この世は楽園じゃない」ということで生きるしかないんです。ただ、それではあまりにしんどいから、バーチャルなもので気をまぎらわせながら生きる方法を人類は編み出したんですよね。
 だけど、そこには、「パラダイスは地球とその周辺にはない」という現実認識がいるんです。一九七〇年くらいに、スウェーデンの経済相が日本にきて短い講演をしたんですよ。ぼくはそれをテレビで見ていて、ひどく胸を打たれたんですけど、「パラダイスは地球とその周辺にはありません。それを認識したうえで、国家のできること、国家の役割を考えなければいけません」と。そのリアリズムに感心しました。リアリズムを失うと、国家はとんでもないまちがいをやる。日本の軍閥政治の数十年間のまちがいは、リアリズムを失ったのが原因です。
 ヨーロッパが社会主義に絶望したのは、一九三六年、スペイン内戦のときです。スペイン内戦では、社会主義者だけではなく、無政府主義者も、民主主義者も、いろんな勢力が人民戦線に集まったわけですね。そのときにソ連に裏切られたというのが、ジョージ・オーウェルの大きな体験だったわけです。裏切られた革命というかたちで『カタロニア讃歌』を書いた。ソ連の実態を知るにつけ、多くの進歩的な青年たちは、社会主義に挫折していきました。
 それでも、なんとかして民主的な社会主義がありえないかというのは、戦後、イタリアやフランスに残っていた共産主義者たちを支えていたものなんです。結局、たどりついたのはEU(欧州連合。European Union)です。それは社会主義者がつくったものではないけれども、ヨーロッパが生き延びるとしたらEUしかない。
 民主的な社会主義はつくれるのか。つくれるとしたら、グローバリズムとは正反対のところにあるとぼくは思います。それは地産地消(地域生産地域消費の略。その土地で生産されたものをその地域で消費すること)です。スローフード、スローライフのような波は、くりかえしくりかえし、おこりますけど、そのあらわれなんですよ。
 人間の欲望はコントロールしないといけないんです。人間の欲望を増大していっていいんだという考え方は、地球が有限であるということがわかった瞬間から、変わるはずなんですよ。
 ぼくのいまの願いは、自分の下着を国産にしたいってことです(笑)。お金を出せば、いろいろあるのかもしれませんけど、なるべくつつましく暮らしたいと思っている人間にとって、手ごろな値段の下着はみんな中国産でしょう。さっきのアニメーションの話と同じで、露骨な賃金格差の構造がある以上、それもやむをえないのかもしれない。だけど、一方で、自分の住んでる町内に靴屋さんがあって洋服屋さんがあって、下着もそこでつくってもらえたら、どんなにいいだろうと。「あんた腹出たね、まずいね」っていわれながら(笑)。子どもが学校を出ても、何をしていいのかわからないっていうんじゃなくて、「あそこの洋服屋の丁稚になりなよ」って。そういうふうに地産地消でやっていけて、激しく変化していかない時代がつくれないかなと。ぼくなんかは夢見るだけですよ。それはもう無謀な夢かもしれません。
 でも、「動物農場」は最後にいってるわけですね。「何度でも立ち上がる権利がある」って。この映画のラストシーンは、原作の結末にさらに付け加えたものですが、「人民はくりかえし、立ち上がり続けるんだ」というところで終わっている。ぼくも、それしかないと思います。

―結末の改変については批判もあるようですが、ジョン・ハラスは、「見る人に未来への希望を与えたかった」と語っていたそうです。

 そうだと思います。同時に、クーデターなり革命をおこして独裁者を追い出して、理想の社会を実現しようとしても、結局、気がつくとまた次の独裁者があらわれる、というのも、人間の歴史を見ればわかることです。それでもやっぱり立ち上がらざるをえないんです。
 つまり、反乱する権利はもっている。ぼく自身、六〇年代には労働組合の活動をずいぶんやりました。べつに自分たちのやったことが良いことだとか悪いことだとかいうつもりはないけど、人間はいつでも愚行をおかす危険があるってことをわかりながら、それでもなにもやらないよりは、やったほうがいいと思います。最近になって、若い人たちがまた独立系の労働組合をつくったりしているようですけど、いろんなところで立ち上がって革命をおこしたほうがいいんです。
 
―じつはこの映画化にはCIAが関与していて、資金を提供していたという事実もわかっていますが。

 CIAがかかわっていたかどうかなんて、ぼくにとっては、どうでもいいことです。ハラス&バチュラーは、誰のお金でもいいからつくりたかったんですよ。だと思います。蛇口はなんでもいい。出てきた水を使って、つくれるものならつくる。そういうふうになる可能性は、ぼくも十分にもっていますから。
「動物農場」がすばらしい作品か、傑作かといわれたら、そこまでの作品ではないと思う。つまり、ぼくがいったような人間の複雑さを描くことにおいて、不徹底だと思うんです。不徹底ではあるけれど、見ておいても悪くはない映画です。
 技術的には、いま見ると、つたないけれども、つたないところも含めて、とてもよくわかる。苦闘したんだと思うんです。長編アニメーションをつくるということは、あの時代、どれほどの覚悟が必要だったか。CIAの資金だけで判断しちゃいけない。そしたら軍閥政治の日本に生きて、そこでごはんを食べていた人たちはみんな薄汚れていたのか、というのと同じです。最初にもいったように、ハラス&バチュラーにとって、この映画をつくることは切実な問題だったんだと思います。CIAの金をうまく使って、結果的に、自分たちのつくりたいものをちゃんとつくったということだと思いますね。


宮崎 駿

アニメーション映画監督。1941年1月5日、東京生まれ。
1963年、学習院大学政治経済学部卒業後、東映動画(現・東映アニメーション)入社。「太陽の王子ホルスの大冒険」('68)の場面設計・原画等を手掛け、その後Aプロダクションに移籍、「パンダコパンダ」('72)の原案・脚本・画面設定・原画を担当。'73年に高畑勲らとズイヨー映像へ。日本アニメーション、テレコムを経て、'85年にスタジオジブリの 設立に参加。その間「アルプスの少女ハイジ」('74)の場面設定・画面構成、「未来少年コナン」('78)の演出などを手掛け、「ルパン三世 カリオストロの城」('79)では劇場作品を初監督。雑誌「アニメージュ」に連載した自作漫画をもとに、'84年には「風の谷のナウシカ」を発表、自ら原作・脚本・監督を担当した。
その後はスタジオジブリで監督として「天空の城ラピュタ」('86)「となりのトトロ」('88)「魔女の宅急便」('89)「紅の豚」('92)「もののけ姫」('97)「千と千尋の神隠し」('01)「ハウルの動く城」('04)といった劇場用アニメーションを発表している。
中でも「千と千尋の神隠し」では第52回ベルリン国際映画祭 金熊賞、第75回アカデミー賞 長編アニメーション映画部門賞などを受賞しており、「ハウルの動く城」では、第61回ベネチア国際映画祭でオゼッラ賞を、続く第62回同映画祭では、優れた作品を生み出し続けている監督として栄誉金獅子賞を受賞している。
現在は、4年ぶりの最新作「崖の上のポニョ」を全国東宝系で公開中。
著作に「トトロの住む家」「シュナの旅」「何が映画か」(黒澤明氏との対談集)「もののけ姫」「出発点」(以上、徳間書店刊)、「折り返し点」(岩波書店)など多数がある。