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上機嫌で美しい未来思考
日本語版監修・翻訳・演出 高畑 勲
「アズールとアスマール」は、日本の傑作とは面白さの質がまるでちがう明快至極な傑作です。先に言うべきだと思うので言いますが、この映画の本筋のお伽話的冒険ファンタジーとしての側面は、あくまでも物語の楽しい枠組みにすぎません。
日本アニメだったら手に汗握らせるにちがいない「見せ場」は、どれもこれもオスロ氏はじつにあっさりと片付けます。そういうところで日本アニメ風のドキドキワクワクを期待すると、見事に肩すかしをくらいます。
でもそこにつまずきさえしなければ、「アズールとアスマール」がどんなにユニークで面白い映画か、子どもにも大人にもすぐにわかります。そしてそれを楽しみはじめると、とんとん拍子で進む冒険譚も、そのゲーム的な手順のよさがかえって小気味よいほど。その過程で出会うさまざまな見聞のなかにこそ、この映画の主眼があるからです。
「アズールとアスマール」の主眼とは何か。それは、異なった人種や民族、文化圏などの間にある反目や偏見を取り除き、人々が相互理解と融和に向かうための基盤づくりに役立つことを、とびきり美しく面白く語ろう、という狙いです。オスロ氏は、スピーディーな展開のなかに、観客がこの問題を考えていけるための大事なポイントを、充分な現実的描写によって豊かに織り込みます。映画のなかで話されるアラビア語はまったく訳すことをせず、言葉の通じない異国での体験を擬似的に観客に味わわせるのもそのためです。そして作品の中にふんだんに「対比」を仕掛けました。
青い目のアズールと黒い目のアスマールは、母のない子と父のない子の乳兄弟で、片や領主の息子、片や他国者の貧しい乳母の子。教育も受けられなかったアスマールは、母親とともに屋敷を追い出され、ヨーロッパに恨みをもち、そこの人間を醜いと思いこむ。
乳母の国に憧れて海を渡ったアズールもまた、貧しい人々、醜い景色、青い目を不吉とする迷信、すべてに失望して文字どおり目を閉ざし、盲目をよそおう。そして物乞いに身を落としたアズールの前に、女大商人となった乳母と息子アスマールがあらわれ、立場が逆転する。フランスで迫害されたユダヤ人学者も、迫害のない寛容なイスラム世界では、同じよそ者扱いながら賢者・医者として生きられる。粗野で閉鎖的な中世ヨーロッパと、交流によって繁栄する中世イスラム世界。
反目や偏見をなくすためには個人と個人の付き合いこそ大切、と、こういう対比のなかで、オスロ氏はじつに個性的で面白い人物たちを活躍させます。そこがこの作品の一番の魅力です。
二十年前フランスから流れてきて物乞いをしているクラプーも、大商人の乳母ジェナヌも、なんとも可愛い聡明なシャムスサバ姫もユダヤ人の賢者も、そしてもちろん主人公のアズールも、それぞれがまるでちがう人物なのに、「二つの国、二つの言語、二つの宗教を知っている」点で共通していて、対話が成立しうる相手なのです。マグレブからの移民の多いフランスならではの着眼が光ります。母とはちがい、アスマールはアズールに心を閉ざしたままですが、冒険で競い合ううち、危機に直面し、幼時の友愛をよみがえらせます。
映画に宗教色は一切なく、女性の地位など現実にはほぼありえなかった設定を巧みに導入することによって、現代の欧米人とムスリム双方に対し、希望に満ちた上機嫌の未来思考を促します。そして花咲乱れる中庭や、理想化された天文台や、華麗なアラベスク装飾をふんだんに描き出して、イスラム文化への敬意と憧憬を呼び起こすのです。ご存じのとおり、中世のイスラム世界は繁栄を誇る先進地で、ギリシャの科学も医学もそこを経由してヨーロッパに入ったのでした。
『プリンス&プリンセス』『キリクと魔女』で感嘆させたオスロ氏得意の装飾的な絵画スタイルは、アラベスクという素材を得て、ここに極まったというほどの美しさです。ところが大胆にも、それとは水と油のような3DCGによって、顔だけがリアルに立体造形されます。そんなことがうまくいくはずはないと誰しもが思うその試みに、オスロ氏は見事に成功しました。人物の顔貌と的確な表情描写がこの作品に深みを与え、本領発揮の装飾美術的美しさとともに、その大きな魅力のひとつとなっているのですから。
高畑 勲
1935年10月29日、三重県生まれ。'59年に東京大学仏文学科卒業後、東映動画へ入社。劇場用映画『太陽の王子ホルスの大冒険』('68)で初監督。主な作品は、『アルプスの少女ハイジ』('74)、『母をたずねて三千里』('76) 「赤毛のアン」('79)(以上、TV演出)、『パンダコパンダ』('72)、『同、雨降りサーカスの巻』('73)、『じゃリン子チエ』('81)、『セロ弾きのゴーシュ』('82)、『火垂るの墓』('88)、『おもひでぽろぽろ』('91)、『平成狸合戦ぽんぽこ』('94)、『ホーホケキョとなりの山田くん』('99)。『風の谷のナウシカ』('84)、『天空の城ラピュタ』('86)のプロデューサー。他に『キリクと魔女』('03)『王と鳥』(06、ポール・グリモー監督)の日本語版翻訳も手掛ける。著書に『映画を作りながら考えたこと』『十二世紀のアニメーション』(以上徳間書店刊)、「ジャック・プレヴェール 鳥への挨拶」(ぴあ刊、編・訳)などがある。また、シャンソン集CD『わたしはわたし このまんまなの』の編曲・訳詞・解説も手掛けている。