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アニメーターをやるやつは見ておくべき。
時代のせいでおもしろくないものと、時代を超えておもしろいものがあるはずで、その時代を超えるものをやっぱりフライシャーは持っているんです。
アニメーターになった時に「バッタ君」を見て、そのワーッって沸き立って動いているのがどれほど描くのが大変かと思い、すごいエネルギーだなあとフライシャーに注目するようになりました。僕はフライシャー風のばかばかしいのも好きな人間ですから。
沸き立つような動きというのは、同じ絵の繰り返しではできないんです。やっぱりどこかでばかなアニメーターがお祭りみたいな気分とか、仲間に自慢したいとか、羽目を外して勢いで延々と描いたものは、見ている方にも何か喜びとして伝わってくるんですよ。そうじゃないとアニメーションの、初源の何とか動かしたい、世界は動いているから動かしたいんだという、そういうエネルギーを発揮することができないと思っています。
アニメーション映画監督 宮崎 駿
小さく、か弱き者にもそれなりの意地がある。
都会の真ん中に、虫たちが暮らす草むらがあった。しかし囲いが壊れたことで人間が侵入し、虫たちは危険にさらされ、日々の生活に安穏としてはいられなくなっていた。そんなある日、恋人ハニーの元に長旅を終えて帰ってきたバッタのホピティは、草むらの惨状を知り、安全な土地への引越しを提案。かくして、人間の足元で、小さな虫たちの苦難の引越しが始まった――。
本作はミュージカル・コメディと銘打たれ、音楽が随所に効果的に使われている。ジャズ・スタンダード曲「スターダスト」のホーギー・カーマイケル、「星に願いを」のリー・ハーラインらの書き下ろしによる魅惑的な挿入曲の数々は、物語を引き立てるだけでなく、後半のストーリー展開においても大きな役割を担っている。
なお、この作品は、1941年暮れ、真珠湾攻撃の直後にアメリカで公開された。混乱のさなか興行はふるうことなく、兄弟はスタジオを去り、事実上の閉鎖となるが、悲運の名作アニメーションとして、今日でも根強いファンがいる。
『ベティ・ブープ』『ポパイ』
『スーパーマン』を作ったフライシャー兄弟
1930年代から40年代にかけて、アメリカのアニメーションは黄金期を迎える。ファンタジーの傑作を次々と世に送り出したディズニーがその中心にあったが、フライシャー・スタジオは、人の動きを写し取る「ロトスコープ」というアニメーションの手法でディズニーに先んじ、ミュージッククリップの原型ともいえる短編映画や、教育アニメーションを制作して発展を続けていた。
他のアニメーション会社がディズニーに追従する中、フライシャー・スタジオはディズニー作品とは違った、都会的で大衆的な独自の作風を確立する。こうして生まれた「ベティ・ブープ」や「ポパイ」は、世界中で未だに人気のキャラクターだ。『バッタ君 町に行く』にもこうした要素は反映され、おとぎ話ではない現代的でロマンチックなストーリーの創造に成功している。その意味では、ハリウッドの実写作品にも通じる普遍性を持ち合わせていると言っても過言ではないだろう。また、1940年代には『スーパーマン』シリーズを制作し大ヒット、1941年度のアカデミー賞短編アニメーション部門にもノミネートされた。