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「チェブラーシカ」からロシア・アニメーションの世界へ
今般、三鷹の森ジブリ美術館ライブラリーで「チェブラーシカ」を公開することになった。この話が持ち込まれた時、既に人気のある「チェブラーシカ」をいま何故われわれが紹介するのか、何故ロシア・アニメーションばかりが舞い込んでくるのかと考えた。
私にとってのロシア・アニメーションとの関わりは、ジブリ美術館の企画展示「ユーリー・ノルシュテイン展」(2003年11月19日〜2004年5月9日開催)からだ。ノルシュテイン監督は、高畑勲監督、宮崎駿監督と旧知の間柄であり、彼との親交を軸にジブリ美術館は何かとロシア・アニメーションと縁がある。
ジブリ美術館ライブラリーの配給第一弾は、彼の門下生であるアレクサンドル・ペトロフ監督の「春のめざめ」であった。2007年12月には、宮崎監督がアニメーターとして生きていこうと志を立てるきっかけとなった作品「雪の女王」を劇場公開した。そして今回が、ノルシュテイン監督の先輩・師匠筋にあたるロマン・カチャーノフ監督の「チェブラーシカ」だ。
そもそも高畑監督や宮崎監督は、若き日にディズニーを始めとする海外の先駆者たちのアニメーションを学びつつ、当時のソ連のアニメーションから大きな影響を受けた。そこには商業主義では不可能な、作り手たちの崇高な志が垣間見られたからだと思う。
素晴らしいロシアの作品はまだまだある。しかし一般の人の目にはなかなか触れることはない。そうであれば、ジブリ美術館ライブラリーで、浅からぬ縁を生かして、ロシア・アニメーションの世界を紹介することは意味があるだろう。
ロシアでは、革命前からアニメーションが独自に発展していたが、社会主義体制下、時代の流れに翻弄される。1930年代後半には、先駆的なディズニーのアニメーションに対抗すべく、「ソビエト的ディズニーを作れ」という指令が出される。一方で、第二次大戦後になると、米ソ冷戦下、ロシアの伝統的な要素が復興してくる。手塚治虫氏や多くの日本のアニメーターが感銘を受けた「灰色首の野鴨」や「イワンの仔馬」などの作品はこの時代に作られている。
さらに1950年代後半になり、独裁体制をしいていたスターリンの死後、雪解けの時代といわれた頃から、ソ連の世情に合わせた作品が登場し、それまでタブーであった民衆側の心情が作品に反映されるようになってくる。代表作は先にあげた「雪の女王」だ。
1960年代以降は、アニメーションが子どもの情操教育に適しているとの考えから国家の資金で量産された。そして、国営スタジオに集うアニメーターの中から、すぐれたクリエーターが次々登場した。カチャーノフ監督やノルシュテイン監督もこうした環境から生まれた。
彼らは子どもを楽しませる作品を作ることだけで満足してはいなかった。子ども向けながらも、技術的
に優れ、芸術性に富んだ作品や、メッセージ性の強い作品をしっかりと生み出したのである。
こうした100年に及ぶロシア・アニメーションの潮流と、素晴らしいクリエーターや作品の数々を紹介する企画を現在検討中である。
「チェブラーシカ」のカチャーノフ監督はぜひ紹介したい一人だ。彼の人形アニメーションはどれも、手間ひまを惜しまず作られた力作だ。しかも、彼の作品は社会風刺に富んでいる。代表作「ミトン」に出てくる母親は仕事に明け暮れて子どもに無関心のように描かれ、当時の世相を反映している。
「チェブラーシカ」もやはり、都会の孤独や自然破壊の問題をお話のベースに設定している。社会問題をさらりと描きながら、お話としては子どもの夢にこたえうる物語をきちんと紡いでいる。
社会主義の時代に合理的精神を失わずに作品を作り続けたカチャーノフ監督が、ロシアで最も愛されている「チェブラーシカ」を生み出した。とても興味深いことである。
チェブラーシカは日本でも馴染みのあるキャラクターだ。「チェブラーシカ」を入口にして、より多くの人が多様なロシア・アニメーションに興味を持ってもらえたなら幸いである。
館長 中島清文
中島 清文(なかじま・きよふみ)プロフィール
1963年、栃木県小山市生まれ。東京大学経済学部卒業後、住友銀行(現・三井住友銀行)に入社。2004年4月にジブリ美術館の管理・運営を行う財団法人徳間記念アニメーション文化財団の事務局長に就任。2005年6月に三鷹の森ジブリ美術館館長に就任。