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作者紹介

映画「チェブラーシカ」 作者・キャスト紹介

原作: エドゥアルド・ウスペンスキー(Э. Успенский)

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1937年、ロシア・モスクワ生まれ。現代ロシアで最も有名な児童文学作家であり、詩人。モスクワ航空大学在学中から演劇の脚本や小説の執筆を続け、童話「おかしな子ゾウ」(65)で作家デビュー。1966年、チェブラーシカが登場する「ワニのゲーナ」で成功し、一躍人気作家となる。以来、「チェブラーシカ」や「フョードルおじさん」のシリーズなど、世界20カ国以上で作品が翻訳されている。


監督: ロマン・カチャーノフ(Р. Качанов)


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1921年、ロシア・スモレンスク生まれ。1938年に美術学校を卒業後、1946年にソ連国営スタジオのサユースムリトフィルム付属のアニメーション美術コースを修了。翌年から、イワン・イワノフ=ワノやレフ・アタマーノフの作品に美術監督や助監督として参加した。1958年にアナトーリ・カラノーヴィチと共同製作の「老人と鶴」を発表し、人形アニメーションの監督としてデビュー。「恋する雲」で注目を集め、「ミトン」(67)でアヌシー国際アニメーションフェスティバル一等賞を受賞し、その才能と技術力は世界の著名なクリエイターに絶賛された。「ママ」(72)など都市生活者の視点を描いている斬新な作品を発表したのも特筆すべき点である。1969年の「ワニのゲーナ」は国民的人気を博し、83年までにシリーズ4作品を制作した。「第三惑星の秘密」(81)など、セルアニメーションも手掛けている。弟子にユーリー・ノルシュテインがいる。元ボクサーという意外な一面も併せ持つ。1993年没。


美術監督: レオニード・シュワルツマン(Л. Шварцман)


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1920年、ロシア・ミンスク生まれ。1945年、国立映画大学に入学し、サユースムリトフィルムスタジオ付属のアニメーション映画科を選考し、1948年には才能を認められ同スタジオのスタッフになった。1956年に「雪の女王」(57)の制作に美術監督として加わり、1966年、初めてカチャーノフと共に子供向けの作品「孫娘は迷子になった」を制作する。以降「ミトン」(67)、「レター」(70)、「ママ」(72)、「オーロラ」と続き、その後は監督兼美術監督を務めた。チェブラーシカの登場人物たちは、シュワルツマンのキャラクター設計が元になっている。2002年にはロシア国家より「人民芸術家」の称号を授与された。


音楽: ウラジーミル・シャインスキー(В. Шаинский)


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1925年、ロシア・キエフ生まれ。1945年にモスクワ音楽院に入学、その後バクー音楽院へと進む。カチャーノフ作品をはじめ、アニメーションや児童映画の音楽も数多く手掛けた、ロシアが誇る童謡作曲家。100曲近くの童謡を作曲し、ソ連時代のピオネールの子供たちに愛唱され、60年代以降に生まれたロシア人であれば、誰もが彼の音楽と共に育ったと言っても過言ではない。1986年にはロシア連邦共和国人民芸術家の称号を授与された。


スタッフ: ユーリー・ノルシュテイン(Юрий. Норштейн)


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1941年、ロシアのペンザ州で生まれる。1961年にサユースムリトフィルム付属のアニメーター・コースを修了し、同スタジオに就職。カチャーノフ、イワノフ=ワノ等の監督作品をはじめ、50本以上の作品に参加し、「25日、最初の日」(68)で監督デビュー。主な監督作品は「霧の中のハリネズミ」(75)、「話の話」(79)など。現在、ゴーゴリ原作のアニメーション「外套」を制作中。「チェブラーシカ」では、第3話のゲーナの演奏シーンを担当。1979年度ソ連国家賞を受賞、1991年にはフランスの芸術文学勲章を受章。2004年には日本の秋の褒章にて、国家・社会に貢献した人に贈られる旭日章を授与された。


チェブラーシカ : クララ・ルミャーノワ(К. Румянова)

1929年生まれ。ロシア国立映画大学を卒業し、俳優となる。主な出演作品に「彼らが一番だった」「復活」「12の椅子」などの実写映画がある。60年代からはアニメーション作品の声優となり、ロシアアニメーションのほぼ2本に1本の割合で彼女の声が聞こえるまでになり、ロシアの子供たちの大半は彼女の声を聞いて育ったと言われる。参加作品は300本を越える。2004年没。