西岡事務局長の週刊「挿絵展」 vol.17 ウィリアム・モリス【壱】 19世紀イギリスで活躍した多才な人物
2012.09.25
実際にジブリ美術館で"挿絵展"をごらんになると、第1室と第2室で雰囲気が違っていることを感じられることと思います。入口を入ったばかりの部屋が、重厚な図書館のような落ち着いた雰囲気なのに対し、隣接する第2室は、明るくて品の良い部屋のイメージです。第1室がヘンリー・J・フォードの画や中心とした展示なのに対し、第2室はコーナーによっていろいろな作家の絵が並んでいるために、このような雰囲気づくりなされているのでしょうか。実は、それだけではないのです。どこにも解説がないので気づきにくいのですが、そこに用いられている"壁紙"は、ウィリアム・モリスによるもので、ラングのフェアリーブックの出版された時代を語る上での、重要な展示物のひとつとなっています。
「花柄の壁紙がふんだんに使われている展示室の様子」
この花柄の壁紙はウィリアム・モリスのデザインによるものです。モリスのデザインは、近代テキスタイル・デザインの元祖として現在もとても人気があり、普通に商品化され続けています。
そんなモリスは、1834年、ロンドン郊外の裕福な家庭に生まれました。オックスフォード大学に進学し聖職者を目指しましたが、在学中、"ラファエル前派"の画家、バーン=ジョーンズ、ロセッティたちと交流をもち、美術、建築、文学の世界にのめりこんでいきます。1861年、友人と「モリス・マーシャル・フォークナー商会」を設立し、粗悪な工業製品の大量生産とは一線を引いた素材やデザインにこだわった職人の手仕事による家具やインテリアを世の中に送り出すことに精力を傾けます。中でも、自然の植物をモチーフにした壁紙のデザインは彼の会社の主力事業となり、そのデザインは100年を経た現在も愛され商品化され続けているわけです。ちなみに、彼が提唱したこのクラフトマンシップの精神は、後に「アーツ・アンド・クラフツ運動」と呼ばれることになり、大きな潮流を生み出していくことになります。
その後も、34歳から36歳にかけて、詩人として叙事詩『地上の楽園』(全8巻、「序詞」と24の物語から構成)を発表し(これは後のトールキンに大きな影響を与えることになる)、50歳では社会民主連盟の機関誌を発刊し、社会主義運動の先鞭を切るなど、1896年62歳でこの世を去るまで、画家、工芸デザイナー、作家、詩人、会社経営者、そして社会主義運動家として多方面に業績を残した人物なのでした。