西岡事務局長の週刊「挿絵展」 vol.39 夏目漱石と装丁【上】 西洋風にあこがれて


 今回の企画展示には、夏目漱石の英国留学が大きな影響を与えています。宮崎監督は、崖の上のポニョの構想時に漱石の作品を再読し、その後、漱石の足跡をたどってロンドンを訪問したことは、制作ドキュメンタリー番組の中でも触れられていました。今回は、その夏目漱石の書籍に対するこだわりのお話です。

 夏目漱石が英国から帰国して、1905年、「ホトトギス」に発表したのが『吾輩ハ猫デアル』でした。これは小説家漱石の処女作で、英国留学で傷ついた彼が神経衰弱から立ち直るために、気楽によもやま話を語るスタイルで書かれた小説です。発表後に大変な評判を読んだため、急遽連載が決まり、翌年まで、全部で10話、11回の連載となりました。単行本化にあたっては、漱石も大いにこだわりがあったようで、英国留学中に親しんだ洋書のさまざまな要素を取り入れ、工夫を凝らした装丁で出版されました。この装丁を依頼されたのが、当時「ホトトギス」に挿絵を描いていた挿絵画家の橋口五葉(1881-1921)でした。橋口は漱石以外にも、森鴎外、永井荷風、谷崎潤一郎、泉鏡花らのそうそうたる作家たちの装丁を手がけていた売れっ子で、後には浮世絵や青木繁らの影響を受けて版画家として活躍するのですが、中耳炎から脳膜炎を併発しわずか41歳でこの世を去っています。

 漱石は装丁の打ち合わせにあたって、留学から持ち帰った洋書や雑誌を、五葉にたくさん見せて洋書風な仕上がりをリクエスト。また、挿絵画家としてはフランス留学を行なったふたりの洋画家、中村不折と浅井忠に依頼し、徹底的に西洋流を目指したのでした。出来上がった本は、上中下の全三巻で、アンカット。"アンカット"というのは、小口が切られていない、今風にいうと袋とじでしょうか。ペーパーナイフで切らないと中身が読めない仕掛けです。これは、立ち読み防止(明治期に立ち読みがあったのかどうかわかりませんが)というよりは、読み進めていくごとに少しずつ切り開いていく楽しみを提供するものです。

 表紙の絵を手がけたのは、もちろん橋口五葉でした。
s130226a.jpg『吾輩ハ猫デアル』(上編、大倉書店・服部書店刊、左は初版、右は改訂版のもの)
 初版も改訂版のいずれも、五葉が描いた猫人間ともいえる不思議なキャラクターがとても印象的ですが、正直なところ、この装丁では、なんだかあまり洋書の雰囲気はありません。書いているうちにわからなくなってきたのですが、よく調べてみると、当時の本というのは、読後に気に入った本は製本師に頼んでハードカバーをつけて仕上げてもらうものらしく、つまりこの写真の本は半製品だったのです(それで、アンカットの状態で出版されたのも納得がいきますね)。つまりこの写真は中表紙となるもので、この上に豪華なハードカバーや天金、金押しなどの処理が行なわれて仕上げられるわけです。また、この『猫』は大変なヒットとなったため、重版を重ねていて、第15版からは和式の製本から洋式の製本に移行しています。まさに、時代の転換点に位置する『吾輩ハ猫デアル』といえるでしょう。(この項つづく)