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コメントライブラリー事業室

「ルパン三世」という作品の魅力は
1st.TVシリーズで確立された

 この作品の第1話が放送されたのは1971年10月24日。日曜夜7時半の30分枠でした。テレビアニメとしては初の大人向け番組として企画されたこのシリーズは、演出:大隅正秋、作画監督:大塚康生、美術監督:千葉秀雄、音楽:山下毅雄、脚本:山崎忠昭・大和屋竺・宮田雪・他、といったスタッフによってスタートしました。制作は東京ムービー(現トムス・エンタテインメント)。大人向け作品ということで、ハードでダークな描写や色っぽいシーンも交えながら、アクションとユーモアを独特のアンニュイなムードを漂わせながら描き、舞台は無国籍、思想はアナーキー、しかし車や銃は実物を正確に登場させることにとことんこだわりカッコよさを追求した、当時としては異色作であり意欲作でした。

 しかし、この「ルパン三世」1st.TVシリーズは視聴率が最初からまったくふるわず、上層部は直ちに演出家を交代させ、大人志向をやめて路線を変更することで何とか視聴率の回復を図りました。そこで急遽ピンチヒッターとして演出を担当することになったのが高畑勲であり、高畑と共に制作に参加した宮崎駿でした。彼らは小田部羊一と共に、「長くつ下のピッピ」を作るためにこの年東映動画を辞めて揃ってAプロダクションに移籍したのですが、原作者リンドグレーンの許諾が得られず企画が難航していた時期でした(「ピッピ」は結局準備作業のみで中止)。こうして高畑・宮崎は「ルパン三世」に参加。途中まで制作が進んだ話数については1話ずつその内容とどこまで制作が進んでいるかをチェックし、どう修正するかを決定し修正を施し、後半の話数については最初からまるまる演出する、という作業が突如始まったのです。毎週1本ずつ放送するテレビシリーズですから、ただでさえ厳しいスケジュールだったはずですが、それを途中から変則的に直すのですから本当に現場は大変だったと思います。時間はもちろん無かったでしょうし、予算も限られていた中で、ともかく全23話が制作され、最終回・第23話は1972年3月26日に放送されてシリーズは終了しました。この作品は作画がいささか乱れた回も見受けられますが、それはこうした理由によるものです。また、クレジットに名前を出さず「Aプロダクション演出グループ」としたのは、このような事情で引き受けた仕事であったせいでしょう。

 この最初のテレビシリーズは、71~72年の放送当時はまったく話題になることなく終了しました。しかし、再放送があるたびにどんどん視聴率が上がり、テレビ局にも続編を望む声が沢山寄せられ、ついには第2弾のテレビシリーズ製作が決定し1977年10月より放送開始。赤いジャケットを着たルパンの登場です。なお、スタッフは一新され1st.シリーズのメインスタッフはほとんど参加していません。第2シリーズは最初から高視聴率を記録し、それを受けて劇場用長編映画も何本か製作され(第2作が1979年の宮崎駿監督作品「ルパン三世 カリオストロの城」)、その後はさらにピンクのジャケットを着た第3シリーズ「PART・」が製作され、テレビシリーズが終わった後も毎年テレビスペシャルが製作されて高視聴率を取り現在に至っています。ですが、アニメーション作品としての「ルパン三世」の魅力は、1st.TVシリーズでほぼ確立されていたと言っていいでしょう。そして、それはシリーズを始めた当初のスタッフが目指したものに、高畑・宮崎の参加による路線変更が加わり生み出されたものです。シリーズを通して作画監督を務め、アニメーション版のキャラクターを確立させた大塚康生の働きも大でした。

 高畑・宮崎による路線変更は、大人志向をやめるという上からの指示を受けてのものでしたが、だからと言って単純な子供向け作品に仕立て直そうとしたわけではありません。過酷な制作環境の中で、高畑と宮崎は出来る限りのことをしました。後に当時を振り返って高畑勲は次のような文章を書いています。「私たちは愉快にかつがれることが好きです。映画であれば「そんなバカなことが!」と思いつつ、どこかほんとらしく思わずバカ笑いしてしまっている、そんな状態にしてくれるもの。そこにホロリとペーソスなんぞがまじれば、ますますうれしい。面白い筋、面白い人物、面白い手口やギャグで吸入圧縮点火と来て爆発排気する……そして後味がよくて何度見ても面白いとなれば、これは最高です。」(初出:「ルパン三世」オリジナルサウンドトラック・ドラマ編レコードライナーノート・1980年7月。単行本『映画を作りながら考えたこと』に再録)。スカッとしたカタルシスが得られる、明快で良質な娯楽作品を目指したことがうかがえます。

 また、同時期に宮崎駿がこのシリーズについて書いた文章にはこうあります。「……まずなにより“シラケ”を払拭したかった。命ぜられたのではない。シラケが時代の先端だとしても、ミニカーレースのあの活力はぼくらのものだったのだ。快活で陽気、まぎれもなく貧乏人のせがれ、ルパン。……ルパンはクルクル走りまわり逃げまわり……知恵と体術だけで、あくことなく目的を追うルパン。」(初出:月刊誌『アニメージュ』1980年10月号。単行本『出発点』に再録)。宮崎のこの文章のタイトルは「ルパンはまさしく、時代の子だった」です。そして、「……あの時代のふたつの顔を同時に持つことで、ルパンはより時代の子どもらしくなったのだと思う。」と書いています。「ルパン三世」1st.TVシリーズは、番組終了後、「早すぎた」「時代を先取りしていた」としばしば言われましたが、しかし本当にそうであったのか。あの時代だからこそ生まれた、時代をまさに反映した作品だったのではないでしょうか。