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なぜ鈴木プロデューサーは今「ルパン」を上映するのだろう。
僕はアニメ業界のことはよく知らないのであまり勝手なことを語れませんが、今、鈴木(敏夫)プロデューサーがこのアニメをわざわざ上映されるということは、もしかしたら、アニメがまずい方向に行ってるのかな、という推測が働いてしまいますね。
僕らのポップミュージック業界は長い歴史の中で、ポップであり、大衆的であり、音楽をやることが仕事であり、そこにおいてきっちりとした売れるものをつくるんだという姿勢が常識になってきています。昔、僕らが若かった時代にライブハウスなどによくいた、自分たちの演奏がうけない理由を「今日の客は悪いよな」みたいなことを言う─客が悪いんじゃなくて、おまえらのほうがつまんないのに─そういう人間は今ではほとんど見かけなくなりました。
でも、アニメは日本を代表する文化として世界から注目される中で、作家性や表現意識ばかりが先行しすぎて、仕事であるという基本姿勢がぶれているんじゃないか─鈴木さんはそんな危機感を感じているんじゃないかという気がします。みんなが宮崎駿や、あるいは押井守や庵野秀明になりたいと憧れるのはもちろん悪いことではないし、自分も「ナウシカ」を作りたい思う志はすばらしいけれど、おれは「ナウシカ」をつくるためにアニメ業界に入るんだというのは、それ、違わないか?─と。表現者とかアーティストとか言う前に、まず仕事なんだよと。そこができなくて何がアニメなんだと。
部外者である僕自身の無責任な実感としても、漫画や音楽の業界では、どんどん若い世代が出てきているにもかかわらず、アニメ業界ではあまりそういう状況がないようには感じます。相変わらず宮崎駿さんがトップを走り続け、あとは押井さんや庵野さんがいて、結局、この30年の歴史をふりかえれば宮崎さんと押井さんだけかよ、というのはメディアの人間としての素直な実感ですね。
最近はネットなどでマニアックな意見が交流するせいもあって、アニメを見る人が、だれだれの演出はすごいとか、あそこの動画はすごいというようなオタク的な思考が目立つようになってきたのも表現意識が先行してしまう一因だと思いますが、だれと向き合ってアニメを作っているのかということは大切ですよね。宮崎さんはそこで「子供に向けてつくるんだ」ということを執拗に繰り返している。それはやはり子供が最もシビアだからだと僕は思っています。子供はつまんないとすぐどこかに行ってしまうし、彼らには作家の名前も関係ない。つまり、勝負としては一番きつい勝負ですよね。
だから、今回上映される3本の「ルパン」が教えるものはすごく大きい。同時に、ひょっとすると失望する人もいるかもしれない。宮崎駿なんだから、高畑勲なんだからとんでもないことが行われているんじゃないかと期待して、「あれ、普通だな」と。「でも、おもしろいな」と。そこで、普通でおもしろいことをやるって、ひょっとするとものすごく大変なことなんじゃないのかなと。これをやれないで、普通じゃないとんでもないことをやろうといっても、それは無理なんじゃないか─そういうところに気づいてくれるといいですよね。
この三本の「ルパン」が放映された1971年当時、僕は大学生で、その翌年の1972年に仲間たちと『ロッキング・オン』を創刊しています。宮崎さんたちはいわゆる政治の季節に政治をやれた世代ですが、僕らは全共闘世代の後なので、終わってしまっていたわけです。高校時代には大学生たちが学校を封鎖しろとか何かわいわいやっていて、僕らも大学へ入ったらああやって石を投げるんだとか思っていたら見事に肩すかしを食らってしまった。そうした中で、自分たちが闘うところはロックしかなかった。だから、この世代はロックミュージシャンが多いんです。そのとき僕がロックに感じていた感覚─『ロッキング・オン』を作った感覚とおなじものを、宮崎さんのアニメにはいつも感じています。
だいぶ前にある雑誌のジブリ特集で答えたときにも、一番好きな宮崎作品で「もののけ姫」を選んで、その理由を「暴力性」と書いたんですが、僕は宮崎駿という人はロックだと思っています。その感覚は三十年以上前に作られた三本の「ルパン」にもすでに感じるし、最近公開された「崖の上のポニョ」でもまったく変わっていません。宮崎さんはとにかく世界を壊したい、焼き尽くしたいという思いですべてをやっている。世間が思っている宮崎駿と本物の宮崎駿は全然違うと僕は思っています。
だから、僕にとっての宮崎駿はロックスターとおなじで、その強烈な暴力衝動と破壊衝動を四十年以上も持続しながら、ここまでの大衆性を獲得し続けていることは、こんな時代だからこそ、見習うべきものが多いんじゃないか、と感じます。
きっと外からはわからないことですが、音楽業界というのはこの十年間、地をはうような構造不況の中で闘っています。レコード会社はリストラの嵐で、音楽雑誌もどんどんつぶれていって、あの会社つぶれたよとか、あのミュージシャンが契約を切られたよという状況が十年間以上も続いている。今社会が感じている危機感を十年前に我々は感じていて、今度は業界の危機に社会の危機まで相乗してきてしまったから、誰もが生き延びることで精一杯です。
つい最近も鈴木さんのラジオ番組(「ジブリ汗まみれ))にお招きいただいたとき同じような話をして、「ポニョだって前の作品より興行成績がいいのに上映できる劇場の数を途中で減らされる。今は映画の世界もそういう時代だ」というようなことをお聞きしました。そういう時期に─そういう時期だからこそ、三十年以上前に宮崎さんと高畑さんが無名の演出家として作られた“仕事としてのアニメ”を観ることは意味が大きいと、僕自身は思っていますし、“悪徳プロデューサー”(笑)の鈴木さんもきっとそんなことを思っているんじゃないでしょうか。 (談)
(音楽評論家 しぶや・よういち)
渋谷陽一(しぶや・よういち)1951年生まれ。明治学院大学卒業。大学時代からロック評論家として活動。1972年、ロック雑誌『ロッキング・オン』を創刊。現在は、株式会社ロッキング・オンの代表取締役社長。『CUT』『H』『SIGHT』などの雑誌を発行。ラジオ番組「ワールド・ロック・ナウ」のDJも担当。『風の帰る場所│ナウシカから千尋までの軌跡』(ロッキング・オン)では、自ら宮崎駿をインタビューし、本にまとめた。ほかにも北野武にも直接インタビューするなど「映画」ジャンルにも深くかかわっている。