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お金も時間もなかったけれど燃えていた。
若き日の大塚康生、高畑勲、宮崎駿が作った
「ルパン三世」1st.TVシリーズ。
今から38年前の1971年10月24日、日曜日の夜7時半、「ルパン三世」1st.TVシリーズの放映が開始された。初の「大人向けTVアニメーション」として制作された当初のルパンは、青いジャケットを羽織り、ニヒルに笑い、アンニュイな雰囲気を漂わせたダークでカッコイイ、まさに「大人の男」であった。
しかし、視聴率は低迷し、シリーズ途中で演出家が交代するという事態が起こる。そこで、1st.TVシリーズのメインスタッフであった大塚康生の強い希望により、高畑勲・宮崎駿がピンチヒッターとして演出に登用された。クレジットには「演出:Aプロダクション演出グループ」と表記されたのみで、高畑・宮崎が関わっていた事実を知るのは一部のファンに限られている。
当時のTVアニメが映し出していたもの。
野球やテニスなどのスポーツ根性ものアニメーションが全盛期を迎え、必ず自らを自虐的なまでに痛めつけ、高きを目指す主人公の姿がお茶の間の人気をさらっていた。そして、その姿を見つめていたのは、子供たちだけではなかった。高度経済成長の中で歯を食いしばり、会社のためにと身を粉にして働いていた大人たちも、自らの姿を重ね合わせ、手に汗を握りながら見ていたのだ。
そんな時代に、「ルパン三世」はある種のアンチテーゼとして生まれた。莫大な財産を持ち、倦怠感をまぎらわすために盗みを働くルパン。しかし、そのルパン像に疑問を抱いていた高畑・宮崎は、演出交代に伴い路線変更を敢行。すでに絵コンテや脚本の作業が進んでいた回もあった中、祖父の財産は先代が使い果たし、一文無しであるという解釈を打ち立て、お金がなくても快活で陽気、活力にあふれ信頼できる仲間とライバルに囲まれた「ルパン三世」という像を作り上げた。
一期は夢よ、ただ狂へ。
現代、人々は確固たる基盤をなくし、進むべき道を見失い、不安で身動きが取れなくなっている。そんな時代に、38年前に登場したルパンたちの姿はどう映るのだろうか。
「ルパン流にやらせてもらうさ。粋にやろうぜ、粋によ」。ルパンが悪党に言い放つセリフである。どんな状況でも自分を見失わず、信じ合える仲間とピンチすら楽しんでいるかのようなその姿は、何者にも縛られない、「自由」そのものであった。