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スペシャル企画

ロシアの風土が描く熱情 (小冊子『熱風』2007年2号掲載)

ロシア語通訳・翻訳 「春のめざめ」字幕担当 児島 宏子

np.jpg「くん、くん、ロシア人のにおいがする!」。ロシア民話に登場するロシアの魔女こと、バーバ―ヤガー(Baba-yaga)は、鶏の脚の上に立つ自分のログハウスに戻ってくると鼻をひくひくさせて、そう言う。ロシアの友人たちは、「子どもの頃、この民話を聞かされ、ロシア人のにおいがするなんて、おかしいと思ったけれど、大人になったら本当に私たちはにおうって分かったのよ」と笑う。

 私はふんふんと頷く。というのはにおいのことよりも、ロシアは他の国に比べて”人くさい”と実感するからだ。ロシアの恋愛小説や、映画には、どちらかというと心理や情景の繊細な描写よりも、生身の人間そのものが深く描かれている。樹木や花にも距離を置かず、引き寄せ抱きしめる。ロシアでは幻想さえ、人間社会のリアリティを秘かに内包しつつ、ひしと玄妙な世界をかもす。 「なぜ?」―この問いを持ってロシアの人々と付き合い、ロシアを巡り歩いてみて、さまざまなことを実感するようになった。まずロシアの距離、空間、時間の概念はとてつもなく巨大である。大酒のみが多く、冗談、小話を言い合っては笑いころげ、一見、実に陽気。だが、癒し難いような孤独感をどこかに秘めている。そのくせいやにお節介やきで、相手を思って夜も昼もあけないというように心をよせる。 「どうしてなの?」―「ロシアでは人と人の間の距離が長いのですよ。孤独でいる時間が長いのです……」。友人がぼそっと呟いた。確かに実に信じられないほど冬が寒く冷たく長い。春を待ち焦がれる気持の切なさは、日本の東北の人々をはるかに上回る。

 春、氷が張り巡らされているような世界が溶けて、人も動物も植物も一気に目覚める。そうなるとロシア人は花が咲けば匂いをかぎまわり、木々を抱きしめ、青空に手を差し伸べ、黒々と肌を見せた母なる大地にひれ伏し接吻する。生きとし生けるものは心を許す相手を求める……。この映画「春のめざめ」の主人公アントンの16歳の春も、心の奥底からうごめいてくる……。


ロシア文学の人間くささ

 「春のめざめ」の監督アレクサンドル・ペトロフ、愛称サーシャはロシアの多くの青年たちの例にもれずトゥルゲーネフ(1818―83)の短編小説『初恋』のヒロイン、ジナイーダの面影を抱いていた。いつの日か、この作品を原作にしてアニメーションを作ろうと夢見ていた。その時期が到来したとき、彼は『初恋』が昔、劇映画化されていたことを知った。それを自分のアニメーションで超えられないと、彼らしい謙虚さで悟ったが、あきらめきれない。そんなとき偶然、シメリョフ(1873―1950)の著作『愛の物語』(1927)を手にした。その初めのところに、"……トゥルゲーネフの本が開かれ、その上に白いユキノシタが盛られたクリスタルのコップを通して、明るい虹色の光が班点となって戯れている……ぼくはたった今『初恋』を読み終えたばかりだ"という主人公のアントンのモノローグが書かれていた。

 サーシャは夢中で本を読み通した。アントンの抱くジナイーダのイメージが、まるでソナタの第一主題のようにあちこちにちりばめられている。これならば、自分のイメージも重ねられると、サーシャは『愛の物語』をモチーフにして作品に取り組む決心をした。仮のタイトル《わが愛》(《春のめざめ》)として、彼のガラス絵で初恋のかもす甘ずっぱい愛の物語が織りなされていった。

 サーシャがこだわった『初恋』は1860年に書かれた。余談だが、この年に、サーシャが大好きなチェーホフが生まれている。

 翌年、「下から打倒されるのを待つより、上から改革する方がいい」とアレクサンドル二世は農奴解放を発令。農奴制下のロシアでは、農奴は所有者に属して蕫人間﨟とみなされず、売買されたのだ。トゥルゲーネフの母親は大富豪の貴族で数千人の農奴を従えていた。農奴を酷使する母親に彼は厳しく躾けられた。彼は母親に同意することができず、悲惨な状態に置かれた農奴たちを哀れみ、心を寄せた。後に、その作品『ムムー』、『猟人日記』、『初恋』などに、彼の思いが反映されている。

 トゥルゲーネフに限らずロシアの作家たちは、虐げられた人々に対し感傷を抜きに注意深いまなざしを注ぎ、彼らも貴族や知識人と同じく有形無形に人間が備えるものをすべて持っていることを文学の中で表現していった。そのようにしてロシア文学は自己の文学を開始し、確立していったと言っても過言ではないだろう。だからこそ文学は自ずと反権力、反体制、虐げられ、取るに足らないと世間で考えられている小人(しょうじん)(小さな人間)の立場にくみすることになった。それらの作品は、ロシアのあらゆる圧制時代の記憶とともに、人々の心に刻まれてきた。サーシャが師と仰ぎ、師は彼を親友と呼ぶユーリー・ノルシュテイン(アニメーション映画監督)が『外套』(ゴーゴリ作、1841)の小役人アカーキー・アカーキエヴィッチに憑(つ)かれているのも、ロシア大地の子として避け難いことなのだろう。まさにロシア文学は人間(ヒューマン)の文学と特徴づけられ、これが他のヨーロッパ文学と異なる独特の人間くささを放っている所以なのではないだろうか。ロシアでは詩歌、文学作品こそが、人々が生きていく上での精神の導き手となったのだ。まさに「ロシアにおける詩人は単なる詩人ではない」と言われるわけでもある。(この場合の"詩人"とは、必ずしも文字通りの詩人のみを意味していない。ロシアではあらゆる芸術ジャンルの作品に"詩性(ポエジー)に満ちたもの"が欠けてはならないという……)。


端を発したトゥルゲーネフの『初恋』

 トゥルゲーネフは初めモスクワ大学で学び、のちにベルリン大学で哲学を学ぶ。モスクワ大学では1830年代にドイツ観念論哲学が流行し、カント、ヘーゲル、シェリングなどが研究された。研究者や同調者はスラブ派の人々に"西欧主義者"と名づけられる。トゥルゲーネフもその一人であったが、同時に古き良きロシアに強い郷愁を抱いてもいた。『初恋』には"ロシア"そのものがさりげなく描かれている。これは、自伝の要素が濃厚な作品でもある。ロシアの艶っぽい自然、社会状況、貴族など上流階層と、使用人や、『初恋』の主人公のヴァロージャと同じような年頃だが、工場で働く貧しい少年たちの姿も散見される。そして"初恋"がやるせなく甘い思い出のみに留められずに、深刻なドラマや精神の葛藤へと導き出されて行く。16歳の男の子が抱える心と身体そのものが、自然の現象として、辺りの森羅万象の描写に重ねて語られ、読者に真実味を感じさせる。

 男の子なら、身に覚えがあるという普遍の"春のめざめ"をシメリョフもペトロフもトゥルゲーネフから、引き継ぎ強め深めている。

 さらに男性が憧れるジナイーダのイメージも同じく引き継がれている。没落の道をたどる公爵家の令嬢で美しいジナイーダの性格は複雑な彩をなす。誇り高く、情熱あふれ、それでも真実の愛に従い耐えるヴァロージャの初恋の女(ひと)ジナイーダ。彼女の初恋の男はヴァロージャの父親だった。これもまた、『初恋』の背景となった1830年代を含めトゥルゲーネフが生きた時代に、多く見られた貴族社会内部の男女間の現象だった。


『初恋』を深化させた シメリョフの『愛の物語』

 一方、シメリョフは1873年、モスクワの裕福な商家に生まれている。大学卒業後、税務署に勤務しながら創作を続けた。ロシア文学の伝統となった"小さな人間"への共感に貫かれた中短編を書いていた。1917年に革命が行われたが、その後も赤軍(革命側)と白軍(反革命の政権側)との戦い、いわゆる激烈な国内戦が続いていた。そんな中で白軍義勇仕官であった息子がクリミアで赤軍に銃殺された。父シメリョフはその悲劇に耐えられなかった。平和、自由、平等を歌った革命は基本理念の優位性を辛うじて保ちつつも、日米英仏など列強干渉軍の厳しい攻撃を受け、かつての被抑圧者が抑圧者を同様にテロで抹殺し、内部矛盾を克服できず、権力闘争にまみれ、ドグマに陥っていた。

 そのような現状にたいする極度の絶望も加味され、シメリョフは1922年にパリに亡命した。以後、フランスで活躍し、一時はノーベル文学賞の候補者にもなっている。しかし祖国ロシアでは、作品の多くが黙殺され、ソ連崩壊後にやっと盛んに刊行されるようになった。シメリョフは少年の頃、若きチェーホフに出会い、公園で一緒に遊んだという。そこから想を得てチェーホフは『少年たち』という短編を書いた。ヴァロージャやアントンより年下の頃、シメリョフはロシアの作家たちはもとよりジュール・ヴェルヌやマイン・リードなどの書籍や、現実に若いチェーホフから"文学"の洗礼を受けたのだろう。

 シメリョフの作品はロシア民衆の日常生活が活写されていることで知られている。亡命先のフランスで絶えず襲ってきたであろうロシアへのノスタルジーが、そうさせたのだろうか。

 シメリョフは『初恋』から得たものを昇華し、新たな散文として誕生させている。そして、異なる時代(1890年代)と背景、複雑かつ重層する人間関係を描き、『初恋』を深化させている。

 シメリョフの『愛の物語』には主人公のアントンと級友ジェニカとの交流に、さらに愛をめぐる考え方の違いなどに、ボリュームが与えられている。まるで光と影の二人の主人公がいると思えるほどだ。パーシャに思いを抱く、職業も様々な複数の男性も登場する。そのように、いくつもの人間関係が交差して、善と悪、清純さと穢(けが)れなどの対比を表出させている。チャストゥーシカと呼ばれる民衆の四行詩の戯(ざ)れ唄(うた)が響き、詩の国の伝統を思わせるアントンの詩と対照をなす。


ペトロフが作り上げた世界

 ペトロフ(サーシャ)は、シメリョフが作り上げた錯綜する関係の中から、アントンとこま使いのパーシャ、ジナイーダとダブルイメージのセラフィーマを選び出し、ひとつの物語に結晶させ、特別のアクセントをつけている。シメリョフが得意とする日常生活を彩る習慣も、サーシャは実に巧みに取り入れている。ロシアの湯沸かし器―サモワール、手回しオルガン―シャルマンカ、覗きからくりに群がる男たちや出店で賑わう縁日など、トゥルゲーネフの世界、時代には注目されなかった庶民の生活がガラス絵(この作品は紙ではなく、ガラスに絵が描かれている)で見事に鮮やかに描かれている。

 無謀に荒れ狂う牡牛に向かって、あっという間に命を失ってしまう御者のシークエンスには虚しさが漂い、「ああ、なぜ?

 意味もなく命を失った!」と泣き叫ぶパーシャの声が耳朶(じだ)にまといつく。それはそのまま若い人々へのペトロフの呼びかけではないか。若い命を無駄に失わせたくないという、今はもうアントンより年上の息子の父であるペトロフの強い願いを感じないわけにいかない。

 本当の愛とは何だろうか。100人に100通りの答が可能であろう。アントンが後に認識する真の"初恋"を提示することによって、ペトロフは自分の答えを私たちに明らかにしたかったのかもしれない。彼の純粋で善意に満ちた人柄のように、そこからはいとも清澄な光が流れてくる。

 最後に私が担当した「春のめざめ」の日本語字幕についてだが、字幕では文字数が限定されるので、脱線しないよう省略、象徴の手法も時にとる。字幕を追うよりも、ペトロフの表現そのものに目を凝らし、耳を澄ませていただきたい。そこから感じ、読み取ることの方がもっと重要かもしれない。表現力を自由自在に駆使するこの巨匠にまずは心身ともにゆだねたらいい……。


児島 宏子(こじま・ひろこ)

ロシアの芸術紹介にたずさわり、ロシア映画の日本語字幕を手がける。また、通訳としても日本とロシアの文化の橋渡し役を努める。訳書に『エイゼンシュテイン全集』共訳(エイゼンシュテイン キネマ旬報社)、『チェーホフが蘇える』(アレクサンドル・ソクーロフ 書肆山田)『すぐり』(アントン・P・チェーホフ 未知谷)『フラーニャと私』(ユーリー・ノルシュテイン 徳間書店)など多数。