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素晴らしい二作品
アニメーション映画監督 高畑 勲
一昨年、イタリアのキアヴァリで行われたアニメ映画祭で、二十一世紀に入ってからの五年間で最も優れた短編アニメーション作品を選び、顕彰しました。その最優秀作品に選出されたのが、デュドク・ドゥ・ヴィット氏の『Father and Daughter』です。審査員(私もその一人)全員一致、文句なしでした。
このたび、その大好きな『Father and Daughter』(邦題「岸辺のふたり」)との二本立てで、ペトロフ氏の新しい傑作『春のめざめ』(原題「わが恋」)が、三鷹の森ジブリ美術館第一回提供作品として劇場公開されることになり、心から喜んでいます。
世界には、短編・長編を問わず、日本にはない種類の素晴らしいアニメーション作品がいくつもあります。にもかかわらず、一部の熱心なファン以外、そういう作品に接する機会は残念ながら非常に少ない。「アニメ大国」であるがゆえにかえってそうなのです。この現状を憂えて、すでにスタジオジブリでは『キリクと魔女』『王と鳥』の公開に尽力しましたが、これからは、ジブリ美術館が配給活動を継続的に行う運びとなり、その第一弾に今回の二作品が選ばれたわけです。しかも、両作品の音楽を担当したのが、これまた『木を植えた男』など、敬愛するバック氏の主要全作品を手がけたロジェ氏なのもたいへん嬉しいことです。
いわゆるアート・アニメーションには、恋愛ものでも、異常心理を扱ったものならいくらでもあります。しかし『春のめざめ』のように、思春期のごく普通の少年の心理を真正面から取り上げて描くことは、これまでになかった試みではないかと思います。そしてそれにペトロフ氏は見事に成功しています。その成功の鍵は、『老人と海』などで人々を驚嘆させた氏の恐るべき絵画的アニメーションの威力です。
油絵のようなリアルさをもちながら、同時に変容し続けて捉えがたい印象を与えずにはおかないその表現こそ、夢かうつつか、少年が憧憬と現実と幻想の間を行き来する姿を描写するのにぴったりでした。少年のときめく心を写し出しているかのようなおぼろな外界、少年の目に映った女性たちの鮮やかでありながら切れ切れの印象、揺れ動く少年心理で色染められたそのきわめて主観的な夢想や幻覚、はては少年の受けた精神的衝撃の強烈さ。
それにしても、ペトロフ氏はなぜ古めかしい帝政ロシア時代の貴族の子弟の恋を描いたのでしょうか。ノスタルジーなのでしょうか。それもあるかもしれません。しかし、この時代の貴族の少年は思春期恋愛感情(春のめざめ)の三つの原型をすべて体験できる立場にあり、そこに時代や階級を超えた普遍性があると感じたからこそ、取り上げたのだと思います。身近な同年輩の少女との触れあい、年上の「女神」への憧れ、誘惑に負けて受ける性的な手ほどき。むろん、最後の原型は暗示されるだけですが。
この作品はだから、多くの男性諸氏にとっては思い当たる節だらけでしょうし、思春期の少年心理の何たるかを見事に描き出している点で、現代女性にとってはもちろん、大人になっても思春期から抜け出そうとしない諸君、「当たって砕け」たことのない諸君、平面キャラに「萌え」を感じている諸君にも面白く有益なのではないでしょうか。
『父と娘』(邦題「岸辺のふたり」)について一言。
この映画の舞台はいわゆる「岸辺」ではありません。オランダに固有のポールダー(干拓地)とその干拓堤防が舞台であることに気づいてほしいと思います。単純な線の絵でありながら、そこはじつに的確に描いているのですから。父の去っていった海が干潟となり、さらに葦原になってしまう、という干拓堤防の外側の変化を、少女が老女となる六十有余年の経過に見事に重ね合わせているわけです。また、ラストシーンの感動が、裁きの日に長の眠りから醒めて神の前に出るはず、というキリスト教が深層心理にある欧米人にとってはまさに衝撃的なのに対し、日本ではごくごく素直に受け入れられることに私は注目しています。なにしろ日本では、死者は天国や草葉の陰から見守ってくれているし、お盆には帰ってきてくれるのですから。ただ、あの世で再会を果たすとき、霊魂というのはいったいどんな姿をしているのか、老いて死んだら老人のままか、それとも… 、という問題を、この作品によって視覚的に突きつけられるのは、宗教に関わりなく普遍的な面白さだと思いますが。
高畑 勲
1935年、三重県生まれ。59年に東京大学仏文科卒業後、東映動画へ入社。劇場用映画「太陽の王子ホルスの大冒険」(68)で初監督。主な作品は、「アルプスの少女ハイジ」(74)、「母をたずねて三千里」(76)、「赤毛のアン」(79)、(以上、TV演出)、「じゃりン子チエ」(81)、「セロ弾きのゴーシュ」(82)、「火垂るの墓」(88)、「おもひでぽろぽろ」(91)、「平成狸合戦ぽんぽこ」(94)、「ホーホケキョとなりの山田くん」(99)。「風の谷のナウシカ」(84)、「天空の城ラピュタ」(86)のプロデューサー。他に、スタジオジブリ初の洋画アニメーション提供作品「キリクと魔女」(03、ミッシェル・オスロ監督)の日本語字幕翻訳・演出、また「王と鳥」(06、ポール・グリモー監督)の日本語字幕翻訳も手がける。著作に『映画を作りながら考えたこと』『十二世紀のアニメーション』(以上徳間書店刊)、『ジャック・プレヴェール ことばたち』(ぴあ刊、訳および解説と注解)『ジャック・プレヴェール 鳥への挨拶』(ぴあ刊、編・訳)などがある。