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アレクサンドル・ペトロフのアニメーション作法
あるキャラクターの正面を向いた顔、斜めを向いた顔、横向きの顔を描いてパラパラとすばやくめくると、顔を横に向けている風に動いて見えます。アニメーションはこのパラパラマンガと同じ原理で、少しずつ形の異なる画像を連続してすばやく見せることで、「動き」を生み出します。とはいえ、一つのしぐさの表現だけで何十枚もの絵が必要ですし、ましてや長いストーリーを語るには途方もない数の絵が必要になります。アニメーションとは、動きを何千何万もの絵で描く作業をこなさなくてはならない映像表現なのです。
では、「春のめざめ」の「油絵」はどのようにして「動き」を得たのでしょうか。
ペトロフ監督が絵を描くのは、撮影台に置かれ、下から白いフィルターを通した光を当てて白いキャンバスのようになったガラス板です。そこへ監督は指を使って絵を描きます。筆や布も使うときもありますが、基本的に指先でガラスをなでるようにキャラクターや風景を描いていくのです。油絵の具は他の素材に比べて絵の具の乾きが遅く、一度描いた描写も絵の具を拭えば消し去ることも描き直すこともできます。この特性を生かし、ペトロフ監督は絵に変化を生じさせ、動きを生み出すのです。
先程の例と同様、キャラクターが横を向く動きを作るとしましょう。最初の正面向きの絵ができたら、撮影台に備え付けたカメラで撮影します。この画像が1枚目の絵となります。次に、絵の中で動かしたい顔や首筋などの絵の具を拭い、少し顔を斜めに向けた形に描き変えて撮影します。これで2枚目の絵ができました。次もまた動かしたい部分を描き変えて撮影。この繰り返しによって、何枚もの少しずつ形の異なる絵が描かれたことになります。こうして撮った画像を映写すると、顔を横にと向ける動きになるのです。
動く部分だけの描き変えと言うと省力化された印象がありますが、「春のめざめ」を見れば分かるように、動きが滑らかなのはもちろん、振り向くしぐさ一つでも、髪の毛の揺れといった細かなところまで動かしています。つまり、絵の変化が非常に緻密に施されているわけです。しかも、単純にデフォルメされた絵ならまだしも、あのリアルで複雑な描写でそれをやるのですから、多大な労力と長い時間が費やされたことが想像できます。
この作法は、画家としての腕前はもちろん、動きや演技に対するセンス、そして並外れた忍耐力を持っていなければ務まりません。加えて、妥協を許さない姿勢がペトロフ監督には備わっているのでしょう。実際の作業では、撮影しているうちにイメージが膨らみ、色調などを当初のプランと違うものにすることもあったそうです。
「春のめざめ」では、絵を描くスタッフ数人で分業する体制を敷き、色の補正や画像データの合成などにコンピューターを導入して、より高度で複雑な表現を目指したそうです。しかし、いくら分業やデジタル化が進んでも、肝心なのはペトロフ監督自身のイメージを指先によって表現する、まさに「手仕事」です。その地道で緻密な作業の積み重ねが、あの映像を生み出しているのです。
三鷹の森ジブリ美術館
学芸員 三好寛
ユーリー・ノルシュテインのコメント
アレクサンドル・ペトロフ監督は、モスクワの映画大学を卒業しました。その後、“アニメーションの監督とシナリオライターのための特別コース”を受け、私と出会ったわけですが、私の生徒の中でも、特に才能のある人です。ガラスに油絵の具を使って、主に指で一枚一枚絵を書いていくという手法において彼と肩を並べる人物は、世界中探してもおそらくいないでしょう。
ロシアは文学大国ですが、彼は卒業制作として、アンドレ・プラトーノフの『雌牛』を取り上げました。その後、ドストエフスキーの『おかしな男の夢』、ヘミングウェイの『老人と海』など、本来アニメーションの原作になるとは、誰も思わないような作品を取り上げています。彼は、そのような世界でもまれな作家なのです。
そして、彼のような個性をもった作家が登場したとき、アニメーションという世界が拡大してゆくのです。
アニメーション作家
ユーリー・ノルシュテイン
ユーリー・ノルシュテイン
1941年、ロシア、ペンザ州アンドレーフカ(疎開先)生まれ。1943年からモスクワ在住。1961年サユーズムリトフィルム(連邦動画スタジオ)に付属するアニメーター・コースを卒業し、同スタジオに就職。もともと絵画志望だったが、エイゼンシュテイン全集に触発され、アニメーション監督の道を選ぶ。代表作「話の話」「霧の中のハリネズミ」他。現在はゴーゴリ原作「外套」を20年以上の歳月をかけて制作中。