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1905年、パリ近郊のヌイイ=シュル=セーヌ生まれ。1994年没。フランスを代表するアニメーション作家、イラストレーター、画家。兵役後、家具のデッサン画家となり、1930年ダムール広告代理店に入社、ジャン・オーランシュ、ジャン・アヌイ、ジャック・プレヴェールらと出会う。
1936年、ジャックの弟で映画監督のピエール・プレヴェールの勧めでアニメーションを志し、アンドレ・サリュとレ・ジェモォ社(双子座の意)を起こす。博覧会用に大画面のPRアニメーションを作るなど順調に滑り出すが、自主作品『ゴーは飛び去る』に着手したところで第二次大戦が勃発、中断を余儀なくされる(後に『大熊座号の乗客』(43)として完成)。しかし大戦中、ドイツ占領下のパリで『音符売り』(42)、『かかし』(43)、『避雷針泥棒』(44)などを制作し、グリモー独自のアニメーション表現を確立した。
1947年、大戦直後に制作され、戦争に動員される青年の愛を描いた戦後第一作『小さな兵士』は、全フランス人を感涙に咽ばせ、ヴェネチア国際映画祭アニメーション賞を受賞。フランス初の長編アニメーション映画『やぶにらみの暴君』(原題『羊飼い娘と煙突掃除人』)の制作に着手する。作品は作者未承認のまま、52年ヴェネチア映画祭審査員特別賞を受賞。翌53年に一般公開し、世界的に高い評価を得る。
レ・ジェモォ社解散後、グリモー映画社を設立するが、大作を作る機会には恵まれず、『ダイアモンド』(70)、『音楽狂の犬』(73)など、植民地主義や死の商人を鋭く告発する諷刺作品を発表するかたわら、フランソワ・ラギオ二など若いアニメーション作家を世に送り出した。
1967年、『やぶにらみの暴君』の権利とネガフィルムを取り戻し、1979年、『王と鳥』と改題して完成。ルイ・デリュック賞を受賞し、翌年の一般公開も成功を収める。
ポール・グリモーは全世界の映画人から敬愛され、1985年には第一回広島国際アニメ映画祭の大会委員長をつとめ、1992年にはパリで大回顧展がまた、グリモーの生誕100年を過ぎた2006年3月には、フランス・ヴァルドワーズで開催されたアニメーション映画祭『フェスティバル・イメージ・パー・イメージ(Festival Image per Image)』において、ポール・グリモー展が行われるなど、その死後においても、フランス国内はもとより、世界からの尊敬を集めている。なお、『王と鳥』以外の主な作品は、グリモーの一種の短編集ともなっている『ターニングテーブル』(88)に収められている。
1900年、パリ近郊のヌイイ=シュル=セーヌ生まれ。1977年没。フランス映画の黄金時代を代用する脚本家。『霧の波止場』(38)、『悪魔は夜来る』(42)、『天井桟敷の人々』(45)、『夜の門』(46)、『火の接吻』(49)、などは日本でも公開またはビデオ化されている。プレヴェールは『バルバラ』、『枯葉』など、『王と鳥』の挿入歌を作曲したジョゼフ・コスマと組んで、愛と民衆の心を歌う詩人として有名。1947年の第一詩集『ことばたち』は90年までに300万部以上が出たという驚異的な詩集であり、生誕百年の2000年にはフランスではさまざまな行事や出版が相次いだ。ポール・グリモーの短編アニメーション『小さな兵士』(47)から『王と鳥』までの脚本を全て手がけている。
1932年、ポーランド生まれ。グリモーはアンジェイ・ワイダ監督『約束の地』(74)の音楽に感心して、キラールに『王と鳥』の音楽を任せたという。以後『コルチャック先生』(90)『ドラキュラ』(92)『戦場のピアニスト』(02)など、ワイダや、フランシス・フォード・コッポラ、ロマン・ポランスキーなどの映画音楽も手がけている。