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2006年3月26日「やぶにらみの暴君」から「王と鳥」へ
1947年、フランスがドイツ軍の占領から復帰して3年後、フランス初の長編アニメーション映画の制作が開始された。1952年、いわく付きのまま発表され、後に『王と鳥』と改題されて完成することになる、映画『やぶにらみの暴君』である。
アニメーション監督ポール・グリモーと国民的詩人であり脚本家でもあったジャック・プレヴェールの二人で制作を開始した『やぶにらみの暴君』であったが、その制作は困難を極めた。当初20人で開始したスタッフは100人を超え、制作開始後4年を経過しても完成せず、制作費は既に底をついていた。この状況に耐え切れなくなったプロデューサーのアンドレ・サリュは、作者二人の意に反してメインスタッフを解雇。イギリスに渡り無理やり辻褄を合わせて完成させてしまう。
事態の進行に納得できない作者は、プロデューサーに対し契約の履行を迫り、作品の差し押さえを求め訴訟を起こすが、当時、映画についての著作権は確立されておらず、訴えは退けられ敗訴してしまう。そしてその間に、『やぶにらみの暴君』は、1952年のヴェネツィア映画祭に出品され、審査員特別大賞を受賞。翌53年には、作品の冒頭に、作者二人の承認しない削除・変更・付加が存在する旨の字幕と、それに対してサリュが抗議と保留を表明する字幕の二つを入れるという異例の状態で、一般公開されてしまう。
作者二人の意に沿わない形で世に出た『やぶにらみの暴君』だったが、評価は高く、多くの国で公開され、世界中のアニメーション作家たちに大きな影響を与えた。日本においても1955年に公開され、「芸術の国フランスの香り高い漫画映画」との絶賛を浴び、キネマ旬報のベストテン第六位に入り、映画評論家だけでなく、知識人や詩人、作家たちもこの映画に夢中になった。その中には、滝口修造、飯島耕一、寺山修司や、後にアニメーションの作り手となる若き日の高畑勲、宮崎駿などもいた。以後『やぶにらみの暴君』は日本でカルト的な人気を得ることになる。
その後、1967年、執念のグリモーは、作品の権利とネガフィルムを買い取ることに成功し、以後、プレヴェールと想を練り、遂に1979年、題名も『王と鳥』と改め、新たな作品として完成させる。『やぶにらみの暴君』 の音楽は、プレヴェールと名曲『枯葉』を作った作曲家ジョゼフ・コスマが担当したが、先の事件の過程でプレヴェールとコスマは決別し、『王と鳥』の音楽はポーランド出身のヴォイチェフ・キラールが手がけた。ただし、キラールの主張もあり、『やぶにらみの暴君』のコスマ作曲の歌7曲のうち4曲はそのまま活かされている。
『やぶにらみの暴君』と『王と鳥』には様々な違いがあるとはいえ、プレヴェールとグリモーの基本的な考え方は30年の年月を経ても一貫している。ただ、ラストシーンの違いは大きい。作者は1970年代という視点から、未来永劫にも通じる普遍的なメッセージとして、「抑圧からの解放」という強烈なメッセージをラストシーンに込めたのだった。完成当時、グリモーはインタビューにこう答えている。
“さまざまな不正義、暴力、人種差別。いたるところでこれほど多くのことが踏みにじられているのを見て、それらすべてについて控えめに目を伏せている理由はありません。”
そして、このラストシーンが、プレヴェールとグリモーの共同作業の終わりとなった。ジャック・プレヴェールは完成の2年前にこの世を去り、ポール・グリモーは完成当時75歳になっていた。構想以来、実に34年の歳月が流れていたのである。
こうして完成された『王と鳥』は、1979年、フランスで最も権威のある映画賞と言われるルイ・デリュック賞をアニメーション作品として初めて受賞。フランス国内では、新聞・雑誌はこぞって賛辞を寄せ、興行的にも大成功をおさめた。
しかし日本では、1980年代に『王様と幸運の鳥』という日本題名で吹き替え版ビデオが出た後、90年代後半には、字幕スーパー版DVD『王と鳥』が発売されたのみで、現在に至るまで劇場公開には至っていない。ポール・グリモー監督の生誕から100年を過ぎた2006年夏、スタジオジブリは、アニメーション映画監督・高畑勲が手がけた新たな字幕翻訳とともに、映画『王と鳥』を、日本において初めて劇場公開する。
なお、ポール・グリモーは、1985年、「平和」と「愛」のための映画祭と銘打たれた第一回広島国際アニメ映画祭の大会委員長として来日し、開会挨拶で以下のような言葉を述べて、聴衆に多大の感銘を与えた。
私はいつも私たちの作品を見てくれるであろう人々に思いをはせます。私たちが彼らに言おうとしたことのすべて、私たちが種を播いたすべて、それらは映画が終わって灯りがともった時に、あとかたもなく消え去ってしまうものではありません。一本のフィルムに終りはないのです。まさに観客の心のうちでこそ、それは歩み続け、種がひとつでもあれば、その種が芽を出しはじめるのですから。
私たちは私たちの最もしあわせな夢々に生命を与えることができますが、その一方で、私たちのもろもろの悪夢が現実にならないために、できる限りのことをしなければならないと思います。