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2006年3月 8日ポール・グリモーの言葉
第一回広島国際アニメーションフェスティバル
大会委員長挨拶より
今日広島にお集まりの日本と全世界の映画人のみなさん。
光栄にもこの「第一回平和のための国際アニメーション映画祭」の大会委員長としてお招き頂いたことに、私は深く感動しています。
映画祭が「愛と平和」の名のもとに開かれることは、そうざらにあるものではありません。その着想が素敵です。では私たちはそれに奉仕することができるでありましょうか。自分たちの表現として、最も正統的で最も大衆的な手段のひとつである「アニメーション映画」を選んだ私たちが。私はできる、と真面目に思います。
もしも私がその有用性に疑いをもつならば、これは平和の大義に対する私たちの責任についても同様ですが、おそらくこのような出会いに参加することを引き受けなかったでしょう。人間の性(さが)というものは「科学」と「進歩」をおめでたくも混同し、つねにあらたな冒険に世界を引きずり込む口実を見つけるのですから、この人間の性に幻想を抱きすぎることなく、私たちは、私たちのフィルムによって、あとから既成事実を後悔するよりは、むしろ悪をその根から断ち切ろうと努力するべきです。
ここ広島のまちは、戦争の恐怖のうちの最悪のものを知っているのですから、五十年後に私たちを迎え、これほどの悲劇に対して他のあらゆる治療法以上のものを要求する権利があるのです。
あまりにも長い間支配的だった、軍備撤廃を望まないこの愚かさ・不寛容・暴力に立ち向かう、賢さ・連帯・平和への大きな願いが、世界中で明らかになりはじめています。熱望が今日、ますます強く、あらゆるところで感じられるのは、危機が人類全体を滅ぼしかねないほどだからです。
この危機に対抗するには、最高の善意でも充分ではありません。アニメーション映画のもつ幸運は、すべての人に分かる言語で話せることであり、主な観客が若い人々、明日をになう男女である、ということです。演説はそういう人々をうんざりさせるけれども、彼らは、お伽話や寓話にもっと近い私たち固有の言語なら好みます。単純で、絵がついていて、誤って子どもっぽいと思われているお話、それらこそ、ただひとつ本質的な諸真実、すなわち心の真実を運ぶもっともすぐれた乗り物なのです。
私はいつも私たちの作品を見てくれるであろう人々に思いをはせます。私たちが彼らに言おうとしたことのすべて、私たちが種を播いたすべて、それらは映画が終わって灯りがともった時に、あとかたもなく消え去ってしまうものではないのです。それらが歩み続け、種がひとつでもあればその種が芽を出しはじめるのは、まさに観客の心のうちでなのです。
私たちは私たちのもっともしあわせな夢々にいのちを与えることができるのですから、それならば、私たちのもろもろの悪夢が現実にならないためにも、あらゆることをしなければなりません。
これが、「愛と平和」という輝かしい名のもとに、広島で生まれようとしている第一回国際映画祭のあけぼのに、私が表明したい願いです。
[ 公式サイト特別企画 ]
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