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赤木かん子さん

洗練されたロシア版アンデルセン

児童文学評論家 赤木かん子


美しい“女王”との再会

 今年の12月、ジブリ美術館が始めた世界のアニメ配給シリーズ、にいよいよロシアアニメの「雪の女王」が登場することになり、見せていただくことができました。

 ジブリのファンならどなたでもご存知の……というのは、宮崎さんが、僕の原点はここなんです、とあちこちで力説なさっているので……なのに見ることができなかった、あの「雪の女王」ですよ!

 実は私、このアニメ、見たことがあるのかどうか、よくわかりませんでした。見たような気もするんだけど、はて、どこで見たのだったか……。ただ、昔見たアニメで、ワンシーン、だれか女の人、それもかなり端正な美人、の顔、というか、瞳が画面いっぱいになる、とってもきれいなのに、ぞくぞくするような怖い場面があって、あれなんだっけかなあ、とずっと思ってたものがあったんですが、今回、それがこの雪の女王の瞳、だったということが判明しました。

 途中、その場面がいきなりでてきて、「あっ!」といってしまいましたよ。ということはやっぱり私、このアニメ見てるのよね。で、どこでかというと、多分テレビで……だと思います。

 でもね、そのとき私たぶんそのアニメを、いいと思わなかったのよね、だから覚えてなかったのよ。だって、きれいじゃなかったし、テンポはのろいし。でもあの時きれいじゃなかったのは、もしかして白黒だったのかなあ……。カラーじゃなかったんならおもしろくないと思ってもしかたないかもしれません。

 というのは、ニュープリントされた今回の「雪の女王」はとんでもなく美しかったので。

 たとえば女王が住んでる氷の世界だけど、ブルー一色、としかいいようがない色なのに、そのさまざまなブルーのグラデーションが絶妙で、絶句するほど美しいんです。デボラ・カー主演の「黒水仙」という映画、ご存知ですか? あのなかのカーテンから尼僧の服まで全部、クリーム色のグラデーションのシーンを思い出しました。でもそういうのって、モノクロで見たってよくわからないものね。

 同時上映される「鉛の兵隊」のほうのデザインも素晴らしい! 色の置き方がうまいのなんのって。

 二作とも、色だけでなく人物の動きがとてもよく計算されていて、さすがクラシックバレエを完成させた国だけのことはあるよな、という動かしかた! やっぱり大きな画面っていいよねえ、とつくづく見惚れてしまいました。これだけ丁寧に作られると、やっぱり大きな画面がいいね。小さいとよくわからないだろうな、というところがたくさん、あるもの。


アンデルセン作品を再作品化すること

 そうして肝心のストーリーですが、これはもうかなり忠実に、アンデルセンのお話をなぞっています。で、なんでかなり、であって、全部、ではないかというとアンデルセンという作家はなんというか、あまりまとまりのない書き手、なんですね。

 とりあえず、日本で、アンデルセンという子どものお話を書いた作家、を聞いたこともない、という方は少ないんではないかと思います。でも、アンデルセンのお話のストーリーはだいたいいえる……少々あやしくても『みにくいあひるの子』も『人魚姫』も『雪の女王』も─。「たしか、男の子が雪の女王にさらわれて、女の子が助けにいくんじゃなかった?」くらいには─。でも、省略されてない翻訳を、ちゃんと読んでいる方となると、そうはいらっしゃらないんじゃないでしょうか?

 そうして、そういう本を読み出したら、おそらく途中で放り出してしまうのではないかと思います。まあ、確かに─。なんといったって、200年前に生まれた方ですからね、アンデルセンは! その時代のほかの作家たちのことを考えれば、アンデルセンはまだまだ現役かもしれません。

 でも、お話というより自分の哲学、を語ることに夢中になりすぎてしまったり、話のつじつまがよくあってなかったり、それはもう、天才的なストーリーテラーではあるんですが、そうしてネタの宝庫ではあるんですが、あまりきちんと積み上がっている感じがしないんですよ。

 私事ですが、去年、アンデルセン話を三冊絵本仕立てで作りました。で、その一冊目を『ナイチンゲール』にしたんです。中国の皇帝のところに小鳥のナイチンゲールが連れてこられて、そこへ日本から機械仕掛けのナイチンゲールが届いてって話ね。これが子どものときに読んで、どうしても腑に落ちなかった……。侍従がね、皇帝をすごくばかにするのよね。

 で、あるとき、アンデルセンの原作のどこにも皇帝の年齢が書いてないのに気がついて、この皇帝が子どもだったらこの態度もわかるなって思ったんです。でも今まで見たどの本も皇帝はみんなお年寄りに描いてあった……。

 だからいっぺん小さな少年が皇帝の話にしてみたかったのと、この話のアンデルセンの書き方がかなり嫌みなんで、そこだけそーっと省いてしまいました。そうしたらとてもすっきりした、わかりやすい話になりました。

 この『雪の女王』はアンデルセンのなかでも傑作の誉れ高い、完成度の高い作品です。それでも、やまほど光り輝いている場面がある反面、よくわかんないとこがある……。

 たとえばね、このお話はサブタイトルが“小さな七つのお話”というんですが、その名のとおり、七つの話からできあがっています。

 その一番最初が“悪魔が魔法の鏡を作り、その壊れたかけらが世界中に散らばる話”で、あの、カイの目に入ってカイを意地悪に変えてしまうかけらは、女王が作ったんじゃないんです。そうしてこの悪魔はそれっきりでてきません。「ええっ? この悪魔と雪の女王はなんの関係があるの?」なんですね。

 続いていきなり始まる二つ目がカイとゲルダが住む北の国の町の話で、ここはカイが雪の女王に連れ去られるまで……。三番目がゲルダがカイを探しに出てきて、花園の淋しい魔女に眠らされる話……彼女は悪い人ではなくて、ただゲルダを引き止めておきたかっただけですが……。そこで花の一つ一つが話す物語があるんですが、うーん、おそらくまじめに読んだら疲れる……だろうと思います。

 ところがね、このロシア版の「雪の女王」では、最初の悪魔のところもさりげなく話をつなげ、花のおしゃべりはほぼカット! そういう演出の一つ一つがとっても上手なのね。

 だからアンデルセン版より、ずっと整合性のある、すっきりとよくわかる話になっているのよ。


原作と異なるゲルダ像

 もちろん、他の人のものを、別の人が作り直す場合、ゼッタイに演出は必要ですから、微妙に変わっていって当然です。それに自分なりの解釈もはいってくるわけで、そういうことをしてはいけないとはもちろん言えません。そうしてこのロシア版「雪の女王」の一番のポイントは、一冬過ぎても帰ってこなかったカイを、ゲルダが探しに行くところではないでしょうか。

 そう、ロシア版では、ゲルダが意を決して「カイちゃんを探すのよ」と出かけていくわけですが、そうしてその、「行くぞ!」という女の子像が、宮崎アニメの原点になるのでしょうから、ここは重要なところだと思います。でも、アンデルセンのゲルダは、自分が行こうと思って行くんじゃないの。彼女は気立てが良くてまっすぐだから、もし川がカイちゃんを返してくれるなら……と、自分の一番の宝物の赤い新しい靴をためらいもせず川に流してしまうのですけど、靴を投げる拍子に足場にしていた小舟が動き出しちゃって、びっくりして泣きながら、ゲルダの冒険の旅は始まるんです。

 そうしていったん始まってしまった旅の間に、いろいろな人に会い、「どうしてもカイを探すんだ!」というゲルダの決意はだんだん強くなって、ゲルダは成長していくのです。

 そのあと、本のほうでも秀逸だし、アニメの方でも絶品なのが、お城で王子様と王女様と会ったあとの、山賊の娘との章でしょう。

 まず、この山賊の頭は女性です。おばさんです。それも、ひげが生えている! と、アンデルセンのお話には書いてあってひげが生えている女の人、というのが全然想像できなくて、本で読んだ時にはちんぷんかんぷんだったのですが、このロシアアニメ版は、凄い! 本当にもの凄いひげが生えています。そうして乱暴で、威勢がよくって、荒くれ男たちに全然負けていません! こういう女性像って……なかったと思います。この人をもっと洗練させると(洗練させるのよ!)おお、そうだ! 「天空の城ラピュタ」のドーラさまですね~。

 50年も前のロシアで、こんな女の人が、描けたんですね~。そうしてここはアンデルセンのほぼ原作通りなので、150年前にこういう女性をアンデルセンもまた書けた、というのは本当に凄い……。

 そうして、山賊のあいだのたったひとりの子どもである娘は寂しさのあまり野生の動物たちを集めて、閉じ込めているのですが、アニメ版は原作よりもずっとはっきり、ああ、この子、淋しいんだというのを前面に出しています。

 このアニメ見て、ああ、そうか、こんなにも淋しかったのね、あなた……、と初めて思ったよ。

 この子は、トナカイの首をナイフでなで上げて、おびえるトナカイを見るのが大好きで、本のなかでもそこは印象に残る場面ではあるんですが、でも、ここまではっきり、あぁ淋しいんだ、というのはわかりにくい……。目つきというのを見せることができるのはやっぱりビジュアルの特長ですね。

 そうして彼女はゲルダを乗せたトナカイを解放してくれます。かくしてゲルダは、親友、までも得ることができます。

 そうして、おそらく今、このアニメを見た人たちのなかには、なんで最後雪の女王と戦わないんだ? と感じる方がいらっしゃるかもしれませんが、アンデルセンはしょっちゅう神様、神様、というわりに、あんまりキリスト教的にはみえません。だからここでも、雪の女王は大自然、雪と氷の世界そのもので、戦うもへったくれもないんだと思います。彼女自身は、いいとか悪いとか、ないの。

 ただ、あるがままにそこにいるの。

 原作では、雪の女王はカイに、氷のかけらで“永遠”という文字をつづってごらん、できたら解放してあげるよ、というのですが、正直いって、その永遠が何を意味するのか私はいまだによくわかりません。でも、それが運よく(!)綴れたので、戦いなんて、ないのです。

 アニメ版と原作のもっとも違うところは……原作ではカイを見つけたとき、ゲルダはすっかり大人になっていて、やはり大人になっていたカイを連れて帰るところでしょう。でもアニメ版では子どものまま、また、元通りの生活を始めさせています。

 そうやってすっきりさせると、どうしてもアンデルセンらしさ、は薄れていってしまうわけですが、そうやって後世の人が手を入れて、再び素晴らしい物語に仕立てなおせるほど原作が素晴らしいのか、全体としては巨大なんだけれど、活字として不完全だからこそ、別のジャンルで見事に甦るのか、どっちなのかは私にはわかりません。

 でもなんにせよ、この「雪の女王」をもう一度見ることができて良かった! つまんなかったなあ、という思い出を書き換えることができて(だって本当は素晴らしいんだから)よかった!

 このフィルムを持ってくるのはさぞかし大変だったことでしょう。ジブリのスタッフのみなさんに心からの感謝を! 今度はお金払ってまた見に行くね!


赤木 かん子(あかぎ・かんこ)

一九五七年、長野県生まれ。児童文学評論家。法政大学文学部卒業。一九八四年、子どもの頃読んだが作者や題名を忘れてしまった本を探しだすという“本の探偵”でデビュー。児童文学の評論や講演活動のほか、近年は本と図書館の使い方の紹介から小中学校の図書館の改装まで手がける。著書に“こんなアンデルセン知ってた?”シリーズの『ナイチンゲール』『火打ち箱』(フェリシモ出版)、『かんこのミニミニ世界児童文学史』(リブリオ出版)『絵本・子どもの本 総解説』(自由国民社)『図書館へいこう』(全3巻 ポプラ社)など多数。



第一回 鮮やかな記憶 ─ バレリーナ 草刈民代
第二回 洗練されたロシア版アンデルセン ─ 児童文学評論家 赤木かん子
第三回 「雪の女王」の中にあるロシア的なるもの ─ 児新訳版字幕担当 児島宏子
第四回 夢の力を持った作品 ─ シンガーソングライター 谷山浩子