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三鷹の森ジブリ美術館にて「雪の女王」展示開催中。
宮崎駿監督が自ら“運命の映画”であり“大好きな映画”と公言する「雪の女王」。
ジブリ美術館では、映画『雪の女王』に関連したギャラリー展示を開催しています。
展示のタイトルは「『雪の女王』とその時代」。
―『雪の女王』と宮崎駿が出会った時代とは、どのような時代であったのか―
それを知ることが『雪の女王』という作品を理解し、そして宮崎駿のその後の作品を理解する上で大きな手がかりになる、という意図で展示を開催しています。
『雪の女王』は、今から50年前の1957年にソビエト連邦(現・ロシア)で公開され、その7年後の1964年、練馬の公民館で東映動画に入社して1年目の宮崎駿はこの作品と運命の出会いを遂げるのです。
展示では、映画『雪の女王』の作品紹介とともに、映画が生まれたソビエト連邦の時代背景と日本の歴史を振り返ります。
このギャラリー展示で、映画『雪の女王』をより深く理解してもらえたら幸甚です。
三鷹の森ジブリ美術館HPはこちら →https://www.ghibli-museum.jp/
◆会期:2007年11月23日~2008年1月末(予定)
◆会場:三鷹の森ジブリ美術館 2階ギャラリー
◆監修・デザイン:宮崎吾朗
◆展示内容:作品紹介パネル、日本初公開のイメージボード5点、
1920-1964のソビエト連邦と日本の歴史年表、
当時の主要な新聞記事(読売新聞社提供)
《企画意図》
『雪の女王』は今からおよそ50年前、1957年にソビエト社会主義共和国連邦で公開された作品です。当時、ソビエト連邦では共産党の最高指導者スターリンによる支配の時代が終わり、フルシチョフ首相政権の元、雪解けと呼ばれる時期を迎えていました。独裁政権の抑圧から解放され、時代が変わると思われたその瞬間に、まさに雪解け後に芽生える若葉のような瑞々しさをもって生まれたのが『雪の女王』だったといえるでしょう。『雪の女王』が公開された数年後、1964年の日本で『雪の女王』に出会ったのが若き日の宮崎駿監督です。時の日本は、終戦から10年以上を経て高度経済成長のただ中にある時代。そして世界の政治情勢に呼応するように起こった「政治の季節」の熱が漂う時代でした。その大きな変動の時代に、自らが選んだ道に悩んでいた若き宮崎駿に目指すべき道を指し示したのが『雪の女王』だったのです。
こうしてみると、1960年前後のその瞬間の『雪の女王』と宮崎駿の出会いは、“幸福な出会い”以上の何かであったのではないかとの思いを禁じえません。このように『雪の女王』と宮崎駿が出会った時代とはどのような時代であったのか、それを知ることは『雪の女王』という作品を理解し、そして宮崎駿監督のその後の作品を理解するうえで、大きなヒントの一つになると考えます。
今回、ジブリ美術館ライブラリーとして50年ぶりに『雪の女王』が公開されることに合わせたこの企画展では、スターリン体制が始まった1920年代から『雪の女王』が日本で上映された1960年代までのソビエト連邦と日本の歴史を当時の新聞紙面を通して概観し、一つの運命的な出会いがあった時代とはどのようなものであったかを観客の皆さんに感じとっていただき、『雪の女王』鑑賞の一助となることを目的とします。
宮崎吾朗